2006年01月01日

論文合併問題「なんか狐につままれたような」

論文合併問題 「なんか狐につままれたような」

上福岡市議会議員  鈴木 啓太郎
2003.12.28

 10月26日おこなわれた住民投票の結果、上福岡市を含む富士見市、大井町、三芳町の2市2町合併はご破算となった。住民投票の直前まで、合併は半ば既成事実でそうなるものとだれもが信じていたから、世紀の大逆転がおきた。

 得票結果は別表をご覧頂きたいが、反対が賛成を上回ったのは大井町と三芳町で、このうち得票率50%以上で有効という条件をクリアした三芳町で反対が確定した。2市2町のうち一つでも反対となれば、合併は成立せず白紙に戻る。かくして合併協議会発足から3年7ヶ月、総費用はたぶん2億円は費やしたであろうわが町の合併話はあっけなく終わった。

 この間私たちは合併反対派として行動した。10月9日の告示直前に上福岡市では「合併反対市民キャンペーン」を立ち上げて街頭行動をおこない、またこれに先立って、2市2町の住民ネットワークで「市民がつくる街づくりプラン」というのをひと夏かけて仕上げ合併協議会の「新市建設計画」に対抗した。これらのアクションがそれなりの影響力を行使したことは、参加しただれもが実感したことである。だが、起きていた事態は実に多様な姿を見せていた。


平成の大合併ってなんだ

 そもそも、いま全国をにぎわせている「平成の大合併」が、地方交付税の削減など要するに地方への財政支出の削減をすすめたい財務省と、これに地方分権だとか合併の推進といった「地方の努力」をくっつけて財源確保をはかる総務省の駆け引きのなかに成立している話だというのはご承知のところだろう。

 悪名高い合併特例債は、合併を決めた自治体に優先的に振り分ける貸付制度で、利子を除く元金の7割を20年かけて地方交付税で「手当」できるおまけまで付いている。国の財政が苦しいから地方のリストラをすすめるとしながら、退職金の水増しと有利な貸付までおこなうのもヘンだと思うが、これもリストラのためと総務省は財務省を説き伏せてしまっている。

 一方の自治体は期限を切られ、いまでなければ有利な財源は保障しないといわれると、先行きの不安から飛びつきたくなるものだ。加えて地方制調では「1万人以下自治体」への交付税削減だとか、自治体としての権限の剥奪という話まで飛びだした。だから、各自治体がとにもかくにも合併をしておいた方が「得」であると考えるだけの条件は整っていた。


合併モラルハザードの形相

 しかしこのような「不純」な動機にまつわる合併だから、クサイ話も多くなる。わが町の合併の場合、合併特例債は580億円計上され、協議会は特例債を含め総額800億円を超える「新市建設計画」を打ち上げた。だが、どの事業にいくらおカネをかけるのかついに明らかにできなかった。その細部まで発表すると首長同士の争いが起きて収拾がつかないのだと担当者はぼやいていた。

 すると各市町は、「この事業は特例債で実現する」などの空手形の乱発を始めた。なかには長らくお蔵入りになっていた大型公共事業までもが復活し、事業費の総計では予算額の倍でも足らないことになってしまった。
 そればかりではない。

 各種基金(自治体の貯金のようなもの)を条例を変えて取り崩して、計画途上の道路だとか建物だとかを既成事実とするために駆け込みで事業化することに血眼になったのだ。わが上福岡市も富士見市もこの不況下でバブル期をしのぐ空前の大型予算が計上され、特に土木費の比率が群を抜いて高くなった。俗に言う「合併モラルハザード」の典型的な現象が起きていた。

 こうなると疑心暗鬼がうまれるのは世の常だ。人口の少ない町部は、合併後の主導権争いで不利になるのは分かっている。合併後の市長選挙で勝つのはほとんど100%人口の多い自治体の首長である。幹部職員の数も議員数も人口比率に正比例する。

 当初はこれに配慮して市役所は新市でもはずれにある三芳町役場に置くとか、記念公園をつくるとかを取り決めた。ところが住民投票が近づくと雲行きは怪しくなった。住民投票での誘導のためか、市役所はまちの中心に持ってくるだの、公園はできないだの、本音が飛び交い始めたのだ。いったい何のための合併なのか、なにを目的にしているのか、こうなるとだれにも分からなくなってしまった。むき出しの利害と損得勘定だけが先行して政治は大義を見失ってしまったのだ。


「与党」議員連盟の分裂

 目的が不純であれば手法もそれに準ずるものだ。合併は青年会議所が音頭をとって住民発議をおこない、議会多数派がそれを支えるはずだった。実際、2市2町の「与党」でつくる合併与党議員連盟という怪しげな組織がいつの間にか生まれて(というのも私にはオファーもなかったから知らないのである)、合併推進を固く誓ってきたのだった。議会の勢力比では圧倒的多数であったから、合併の成立をだれもが疑わなかったが、その分だけ合意形成は密室性を強め、かわりに住民への説得力は乏しくなった。

 合併協議会は協議会とは名ばかりで、事務当局の案件をほとんど質疑もなく3年7ヶ月にわたって追認し続けた。新市は市民参加型のまちをめざすはずで、ワークショップとかも開かれたが、そこで合併は前提であり、その是非を論じるのは御法度にされた。重要なことはいつの間にか首長間の合意で決まり、議論の中身が外に漏れるということはなかった。しかしその密室性故にか、不信感ばかりが募って結果的には与党議員連盟は分裂して「合併推進議員連盟」と名を変えた。そのうちに首長同士の喧嘩が始まって、最後は修復不可能な感情むき出しの対立になってしまった。


住民投票がまちの未来を決めた

 この過程で、私などが議会での議論を試みてもむなしいばかりだった。市長は合併協が決めることだといって逃げ、反対したいならどうぞおやりなさいととりあわない。それならばということで、私は合併反対派になることになった。もともと賛成も反対もあったわけではないが、多数派に安住して沈黙するのは流儀にあわない。たとえ合併が動かずとも、少しでも異論を唱えて論点を提示することが自分の役割と自覚したからだった。

 ただ私たちは住民投票の実施を求めていった。合併がいわば「上から」押しつけられた性格をもつときに、これを覆せるのは住民投票をおいてなかったのである。逆の意味で、議会や「有力者」たちが反対でも、住民投票の結果でねじ伏せることも可能となる。たぶん、こうしたいろんな意味合いが交差して、住民投票は実施されることになった。

 三芳町で得票率が50%を越えたという報が伝わったとき、合併推進派は万歳をしたと報道関係者が教えてくれた。彼らは最後の瞬間まで勝利を疑わなかったのである。しかしその予想を超えて反対票は投じられた。この結果、2市2町合併協議会は解散が決まった。いまは責任のなすり合いだけが始まっている。
(03年11月)


住民投票の結果

富士見市 上福岡市 大井町 三芳町
投票率 40.48% 43.54% 47.20% 51.53%
賛成 23.021 11.063 7.774 6.181
反対 9.972 7.961 8.893 8.334

合併協議会の設置に反対する

合併協議会の設置に反対する
上福岡市議会議員 鈴木啓太郎


市長は合併推進の理由を明らかにせず、
公開の場で論じ合うことを拒絶している
 上福岡市、富士見市、大井町、三芳町2市2町に提案された合併協議会の設置請求は、法定署名数など手続き上の合法性要件を満たしているとはいえ、何故に合併協議会設置が必要なのかという根本的な理由を明らかにしていない。
 また議会に付議するにあたり「意見を付けなければならない」武藤市長もわずかに「賛成します」という5文字をそこに添付しただけで、やはり合併協議会を求める理由について言及しようとしない。

 わが市の合併に連なる重大問題を議決するにあたって、その理由、主張の正当性の論証は当然の義務であるが、提案者も、また提案を受け入れた市長も内容にはふれず、議会という公開の場において論じ合うことを拒絶するのはいったいどうしたことか。
 このような態度は、今後も市民に開かれた議論など到底期待することができないことを示唆しており、「合併の是非を論ずる」という合併協議会の建て前をはなはだしく疑わしきものにしている。

 
2市2町の合併は、ふじみ野駅周辺開発の
受け皿自治体づくりとして計画された経緯を持つ
 だが明確に語られなくとも、2市2町合併が計画されてきた歴史的な経緯ははっきりしている。

いうまでもなくそれは、ふじみ野駅周辺の開発事業の受け皿となる自治体の形成というコンセプトにほかならない。
こうした点で、わが2市2町の合併策は、埼玉新都心の受け皿づくりの浦和、大宮、与野合併計画や、湾岸開発プロジェクトを中心に据えて那珂港市、勝田市の合併したひたちなか市となんら変わることがない。

 ただし、計画当初とは様々な意味での条件の変化が生まれた。首長の変更や政治地図の変化以外にもっとも大きく計画の変更を迫ったのはバブルの崩壊であろう。これにより、巨大開発事業が一時的に沈静化せざるを得なくなったのはご承知のとおりである。だがふじみの駅が開通し、東上線急行が止まり、大きなマンション群がそれなりに活況を示してきたこんにち、合併開発策は、あらたな装いをもってわれわれの前に姿を現すことになった。

 それがすなわち「平成の大合併」といわれる「地方分権受け皿論」「行財政改革=市町村合併論」の装いを身につけたあらたな合併論の台頭にほかならない。これらは東入間青年会議所が提案する「みよし野田園都市構想」として、いまわれわれに、合併協議会の設置を迫ろうとしているのである。

新しい街が生まれることを歓迎すべきか
 ところで、このような合併すなわち大開発といった議論の展開は、いささかステレオタイプに属するものであり、常軌を逸していると思われるかも知れない。各自治体の自主的な合併の促進は地方分権推進委員会の奨励するところであり、上福岡が新しい街に生まれ変わるためにも合併は大切なプロセスではないか、というように。

 だがここに大きな陥穽がある。

 わが2市2町の合併は、地方分権の推進とは似て非なる別物であり、合併は上福岡の基礎自治体としての発展に僅かにも寄与しない。

特例債など合併で得られる財政は、開発事業に振り向けられ、
上福岡など周辺部には予算は回らない
 もし、万が一この合併が実現するならば、国や県から充当される特例債は、ことごとくふじみ野駅周辺の開発事業に投じられ、その巨大で空虚な中心街に比して、打ち捨てられた周辺部がそれを取り囲むという街が出現するにちがいない。
そればかりか、その巨大債務によって、バブル以後も開発中心政策をつづけた自治体が、大阪府や東京都と歩んだのと同じように、泥沼のような財政危機に落ち込むのは避けられないだろうと推察する。

 この結果、わがまちづくりのマスタープランや3次総はもちろん、北野大原地区の再開発などといった地域からたちあげてきた議論は水泡に帰するのであり、福祉や環境といった今日的な施策は大幅に後退することが懸念される。

 さて、これらの議論は、単なるキメツケであり、極論にすぎないのだろうか。

合併協議会は「自主的に合併を望む」
住民の意思を確認する手続きを必要としない
 本請求にある合併協議会は「合併の是非をも含めて議論する機関であるから、その中身はこれから検討されるのだ」と思われるむきがあるかも知れない。
そこで本論においては、合併特例法に基づく、協議会設置請求の合法性に対し疑義を振り向けていくことにする。
すでに法制上成立している特例法の合法性を問題にするのは、あくまで法制上の不備を指摘した上で、その問題点は何かということを共有しておきたいがためである。

 まず第1に指摘したいことは、95年の法改正で導入された住民発議制度は、通常地方自治法の範囲では条例改正をもとめる直接請求に適用されるにすぎない50分の1の有権者署名で発議を可能としており、自治体の存立にかかわる問題への発議としては甚だしく条件が緩い。

 憲法95条では、一つの団体のみに適用される特別法は「住民の投票によって過半数の同意を得る」ことを規定し、あるいは改正地方自治法76条「議会の解散請求」などリコール条項では、有権者総数3分の1以上の署名と投票による過半数以上の同意によって解散解職が確定する。

自治体合併は「自主的で自立的な」合併の促進を前提にしており、かつ相互の議会議決を前提にすることで、このような処置が取られているのであるが、このことはごく一部の住民の意思によって、合併が合意されかねない法制上の問題を表しているのである。
言い換えれば、市民生活を大きく変える合併問題を協議するにあたって、われわれは住民の意思を確認する手法を、通常選挙以外は持ち得ないということになる。

したがって、これらの欠陥を補い合併の是非を決する際には、しかるべく住民投票など住民総意の確認をおこなうべきであり、その後に禍根を残さないためにもこれらは必要不可欠な手続きとみなさねばならない。

合併自治体には協議会で合意された
まちづくりビジョンを遵守する義務がない
ためにバラ色のまちづくりを約束し、後で反古にすることが可能である
 第2の問題は、合併協議会後に生まれる「新」合併自治体には、協議会で合意される建設計画の遵守義務がないことである。特例法によれば、合併市町村は、議会の議決を得れば、建設計画をいかようにも変更することができるとされる。

ところで、合併協議における「建設計画」は、新しい自治体のビジョンとなるべきものであって、合併を合意するに不可欠でありながら、それを遵守しなくても良いということになり、合併協議会の信頼性を極めて疑わしくしている。

 繰り返すが、特例法では合併に際し少数の署名提出で発議され、住民の総意を確認する方法は確立されていない。さらに、かりに各議会が合意しても、新しい自治体議会は合意した建設計画を容易に変更しうるのである。

合併推進論は積極的な推進論を必要としない
 このような法制上の問題点が、協議会の性格を危ういものにする。
すなわち、強力で積極的な議会内少数者の反対論を別にすれば、住民の側には積極的な盛り上がりは必要とせず、消極的賛同ないし無関心が合併協議を容易にしかねない。

最近東入間青年会議所が発行したビラによれば、武藤市長をのぞく首長の意向は、
「時代の趨勢」(富士見市荻原市長)
「前向きに捉えたい」(大井町島田町長)
「前向きに考えていきたい」(三芳町林町長)
という驚くべき消極的態度である。

そこでわれわれが懸念するのは、拙速に合併協議が進行し、充分な詰めがなされず、安易な妥結に踏み込んでいくことであり、特例債による財政措置にのみ目を奪われ、これまでの各自治体の政策立案を台無しにしかねないという問題である。

地方分権・分権自治体づくりと2市2町の合併を混同して論じてはならない
 確かに、地方分権推進委員会の第2次勧告などにおいて自主的合併や広域行政への取り組みが奨励され、合併特例法改正に際し住民発議制度や過疎地域活性特例措置の規定拡大が盛り込まれた。

 しかしここで問題とされるのは、全国自治体の6割を占める人口で八千人を下回る自治体で、かつ過疎化による人口減が加速度的に進行している地域である。

 このような地域においては人口減少が財政規模をいちじるしく低下させ、職員数も減少するなど行政執行能力の低下も避けがたい。もちろんこのような小規模な自治体でも、自主的で自立的なまちづくりを推進し、人口減少をくい止め、産業的発展を実現しているところは全国にたくさん存在している。
このため、合併計画の存在しない空白地が18の道府県に及んでおり、必ずしも合併策は全国的に必要とされている施策ではない。

 さらにそうした過疎自治体への救済策としてとられている合併推進策が、上福岡市はじめ2市2町において該当しないのはいうまでもない。わが市は、少子高齢化対策を独自に展開しえないほど脆弱な、自治的能力を欠如した自治体ではない。

適正な自治体の規模という議論は間違っている
 これに対して、日本青年会議所の「全国339自治体への改革」といった自治体再編計画は趣を異にする。これらは、通信交通網の発達、モータリゼーションの普及に踏まえ、日常の生活圏、経済圏が拡大したという認識に立って「適正の人口規模・圏域の半径」なるものを算定し、それに見合わない自治体を合併すべしとする乱暴な主張である。

 これらの出典根拠は以外に古く、1970年の自治省「広域行政圏構想」、同年の建設省「地方生活圏構想」にさかのぼる。この両構想とも、それぞれ10万から40万までの人口規模、半径20~30キロの圏域を「適正」なものと想定する。しかしそれがすなわち、自治体の規模の「適正」を示すのでないのは一見して明らかである。

人口規模の適正な範囲などという構想は
市民の生活感覚に結びつくものではない
 地方分権の時代であるからこそ、自治体にはほんらいの「自己決定・自己責任」が認められるはずで、「それぞれの地域の実情に応じて市町村のあり方を考えることが重要であり」「すべての地域を通じた市町村の適正規模を一律に論ずることは困難であり、市町村の数をあらかじめ定めることは適当ではない」(第25次地方制度調査会答申、98年)と考えるべきで、「適正な人口規模・圏域」などという「上からの」市町村合併は、自主的で自立的な「個性豊かなまちづくり」をめざす地方分権とはまったく別物であり、両者を混同して論じてはならないのである。

特例債は借金がしやすくなるというだけで、いずれ付けは支払わねばならない
市民1人当たりの予算は確実に減額する
 ではさらに、合併特例債による財政的特典についても論じてみよう。

 合併をおこなえば、普通交付税額の算定特例期間の延長をはじめ、合併特例債など、短期中期的には合併による不足を補ってあまりある財政措置が盛り込まれている。財源に不足をかかえる各自治体にとって、これは魅力的な数値であろう。

 だがいかに特典が与えられるとはいえ、これらはほぼ十年間の期限付きの処置で、いくら地方交付税の充当率が高くなるといっても、それは借金がしやすくなったというだけのこと。問題は特例債の使い道となる。これについてはすでにふれたように、新市庁舎やハコもの的施設など、ふじみ野周辺に費やされる可能性がもっとも高く、市民生活が全般的に向上するとはいえない。

 しかも合併によって一時的に膨らんだ財政も、優遇期間が過ぎれば、交付税の減額、補助金のカットなどによって減額されていくのは必至である。また人口20万以上の特例市となるために、あらたに水質汚濁防止法、都市計画法、土地区画整理法など15の法律に基づく19項目の事務が増え経費が増大化するのはいうまでもない。こうした点からも将来的に予算規模が縮小するのは避けられないと思われる。したがって、市民1人当たりに充当する予算額は確実に減額されることになる。

ただ一つの財政メリットは、議員が減ることである
 唯一市民にとって財政メリットが存するといえば、4人の市長、市の幹部、議会議員、市職員の数が減るということである。しかし事務の増大とともに職員は必要になり、議員歳費の増額などでこれが経費としていかほどの削減になるかは大いに疑問としなければならない。
それでも議員が減る方がよいのだといわれれば、われわれは頭を垂れる以外ない。

 しかし、この点は議員諸氏に訴えたいが、議員が減ることを唯一のメリットとする合併に賛同するなどという選択はおのれの存在を低め、辱めるものではないだろうか。市議会議員として市政の発展にかかわってきたと自負する者の矜持にかけて、このような合併策は認めてはならない。

「みよし野田園都市」構想は何が間違っているか
 つぎに住民発議の中心事務局であった「東入間青年会議所」が提案する「みよし野田園都市」構想についてみていく。

 同会議所が発行するパンフレットによれば、「みよし野田園都市」は「農と食が同居するマチ」であり両者を結ぶ「商というコミニケーション」が設定されるなど共感できる部分もあり、また、三富農業の保全や、新河岸川自然公園構想など肯首しうる多くの提案が含まれている。そこで新しいまちづくりをはじめよう、消防、警察、医師会など、これほどの広域行政の既成事実があるのだから、なぜ行政だけが分離するのか、という問いかけには一見説得力があるように見受けられる。

 だが、先にも述べたように、自治体行政の領域には広域事業になじまない数多くの業務が存在する。これらの多くは都市問題としてに派生する社会的弱者の救済という問題である。
弱者は特別な存在ではない。都市生活ではだれもが社会的弱者になりうるからこそ、安全保障を社会的に整備しなければならないのである。

 それは住宅政策、生活道路などの問題でいえば、都市計画や土地利用規制への住民の意見反映、行政サービスに対する住民の苦情処理、地域的ニーズに応じた予算の編成といった事業であり、保健福祉でいえば、介護や医療の住民サービス、ヘルパー派遣や相談業務、小型デイサービスやグループホームのたち上げといった今日的課題である。これらは、きめの細かい現場でのやりとりや実態調査の末具体化されていくのであって、広域的に事業化すればよいとはならない。

きめの細かい、地域からたちあげる事業が必要とされている
 「地域的ニーズ」を政策化し「だれもが安心して心地よく住める」マチにしていくことが福祉の課題に他ならない。福祉の基礎構造改革論議の中で用いられている理念は「個人の自立した生活を総合的に支援するための地域福祉の充実」であり、こうした考え方が介護保険などでめざされているのはいうまでもない。そうであるからこそ、介護保険法は各市町村に独自の策定委員会を設けさせ、その地域的課題と住民ニーズに即した政策立案を義務づけているのである。

 また同パンフレットが「お金があるならば、段差のないマチづくりに着手すべき」など、同会議所が批判するばらまき福祉や、ハコもの福祉とまったく同レベルで福祉的施策を論じているように、いささかも「福祉の本質を捉えていない」ことは明らかであって、同会議所はこうした点をこそ批判的に省みるべきである。

 さらに同パンフが、合併は「大きなビジネスチャンス」などと表しているように、地域の商業的発展という、市民生活総体からみれば、それだけでは一面的な利益の強調に終始しており、このような観点から開示される「みよし野田園都市構想」は社会的弱者に注がれるべき視点を切り捨てた「強者」の観点から、広域行政・合併推進を論じているのであって、これらが到底市民的合意をなしうるものでないのは明らかだと思われる。

以上述べた視点から、2市2町の合併には賛同できず、
よって協議会設置にも賛成することはできない
 自治体合併の経験を持つ富士見市に対し、上福岡、大井、三芳はそれぞれ独自の自治体として発展を遂げた歴史を持つ。これらは埼玉県政の中でも誇るべき歴史であり、合併などという無駄なエネルギーを費やす必要はない。相互に協力し合い、切磋琢磨していくことで良いではないだろうか。拙速な合併策は道を誤るだけである。

 (12月17日上福岡市議会本会議で反対討論時にほぼ全文を朗読。その後、反対8、賛成15-保守系会派・公明-で合併協議会設置に議会が同意を採決した。)

進む市町村合併 広域化は財政危機を救うか

進む市町村合併 広域化は財政危機を救うか


さいたま新都心(大宮、浦和、与野)や静岡清水合併など、各地で市町村合併の動きがさかんに起きている。地方分権化や都市再開発の手段として、各自治体が広域化・人口集中に力を入れているためだ。市町村の拡大で住民の生活や町並みはどう変わるのか。合併をかかえる各地からの意見を聞いた。


町の未来が密室で決められようとしている
――埼玉県上福岡市の場合――
上福岡市議会議員  鈴木 啓太郎

 四月一〇日、大宮市、浦和市、与野市で合併協議会が決定され、さいたま市発足の動きが本格化した。私の住む上福岡市でも、富士見市、大井町、三芳町との合併協議会が発足している。何のための市町村合併なのか。上福岡での論議を取り上げたい。



分権化の受皿というけれど

  私が昨年四月に議員になって、降ってわいたように現れてきた難物がこの問題だ。昨年七月、地方分権一括法で「合併特例法」が改正され、有権者の五〇分の一の住民発議で合併協議会の設置請求ができることが決まり、八月には上福岡周辺でも青年会議所による署名運動が始まった。一〇月には法定署名数が各自治体に提出され、一二月に各議会が合併協議会設置を議決というように、アレヨという間に進んできてしまった。

 浦和などの場合は「さいたま新都心」建設という大開発の受け皿自治体づくりとして計画されてきた。わが二市二町の場合も経緯は同様、東上線に新たにできあがった「ふじみ野」駅周辺開発の受け皿的な位置で計画されてきたのである。バブル崩壊以来、話にそれほどの勢いはつかず、計画立ち消えとすら市民には思えていたのだった。

 ところが少し事情が変わった。地方分権推進委員会は第二次勧告で「市町村合併」の促進を打ち出し、地方分権計画の重要課題として持ち上げた。その追い風を受けて、くすぶっていたはずの「二市二町合併」論議が一気に吹き出してきたのである。

 合併するとなにがいいというのか。「スケールメリットで財政規模が拡大する」「行政サービスが向上する」これが自治省の言い分なのだが、実際のところよくわからない。お隣の大井町の人たちは住所を入間郡から書きはじめるのがいやなので、市に昇格するなら何でもいいと言っている。小さな町に住んでいると大きいまちはよく見えるものだ。ターミナルステーションがあって、ビル街があって、中心部にはスポーツ施設がたくさんある。そんな都会的な街へのあこがれがあるのだろう。

 だから、ここから得られるメリットというのは、こういう話ではないかと私は思っている。自分の住んでる近くに温水プールが欲しいと思う。町が単独で作れば財政負担は大変だが、市町村が集まって作れば財政規模は大きくなり、つまりスケールメリットで「効率的」にできて、サービスが向上するというわけだ。

 しかし運良く近所の人は良かったけど、遠くの人にとってはどうだろう。財政の豊かな隣町のプールに行くのと便利さはたいして変わらなかったりもする。ブランド志向で住む街のグレードを問題にすれば、プールがある自治体の方がいいという人もいるだろう。しかし算数的に考えれば便利な人は少数で、大部分の人が遠くなる。広域自治体の非効率の方こそを、問題にすべきだと私は思う。

 街の機能はスポーツ施設だけではない。山村中心の自治体もあれば、農村も市街地もある。街には年寄りも子供も障害者も暮らしているのである。大切なのは基礎的な自治体にだれもが容易にアクセスできるということではないか。そこにコミュニティが成立しているということも生活には必要だ。自分の住んでいる地域の問題を自分たちで解決できるのは「地方分権」の大事な課題であるはずだ。

 この問題を国家的統制の合理性や行政改革の脈絡で見ると、意外なほどすっきりする。自治体の数はどんどん減らして、都道府県などの中間の広域自治体もなくして、「全国三〇〇自治体への再編」(小沢一郎)で国が直轄した方がコントロールが容易であるからだ。また自治体にばらまいている補助金や地方交付税など予算の規模を縮小するにも都合がいい。

 もちろん現に大きい街に住んでいて、大宮・浦和のように百万を越えなくては気が済まないという人もいるだろう。まあそこまでいくとこれは生活スタイルというか、ある種好みの問題でもあって何も言うつもりはない。上から押しつけられるのは気に入らないが、こんなことをきっかけに自分たちの街を考えるのであれば、それでそれなりの意味があると思うのだ。大きいことがいいことなのか、答えがあらかじめあるのではない。要はそこに住む人が、いかなる街を選択するかという問題だ。だが、とりあえず私の心情としては「スモールイズビユーティフル」と思っている。



論議なき意志決定の怪

  こんなふうに考えながら、いきなり法定協議会発足という課題を議会で突きつけられて、反論しなければと気負った私は、三日間徹夜で「反対討論」を書き上げ、約八〇〇〇字二五分に及ぶ大演説をやってのけた。その結果ある保守系の議員は眠り込んで採決に立ち上がらず、なんと「反対」に一票を投じたのであった。これこそ演説の力?という笑話なのだが、「何だ興味ねーのかよ」という感じなのだ。この問題が起きてから、こうしたとまどいを至るところで感じている。

 「大丈夫、そんなに簡単に合併なんかできないよ」。これは合併を進める側の議員の口ぐせだ。法定協議会がこうなって、こうなってるからすぐに合併になっちゃうけど、それでもいいのか。アンタんとこの商店なんて、周辺部の過疎に置かれて、すたれちゃうだけじゃないか。キミのところなんて回る予算はなくなるよといった具合にまくし立てると、必ずこういう反応が返ってくる。こいつは不可解。今もって大きな謎なのである。

 各議会はすでに合併協議会設置で議決しているのに、表向きには、まだ「白紙」(三芳)だの「広域連合で」(大井)だのというのである。合併そのものは、住民発議で始まったのだが、そのときの署名運動は「合併について協議するのだから」署名して欲しいという趣旨だった。賛成でもなく反対でもなく是非を検討することで協議会は発足した。ところが各首長、助役、正副議長のほか学識経験者を交え三〇数名で構成される協議会は、「メリットデメリットを出し合って、デメリットを回避するという方向で検討したい」。要するに合併の障害を取り除いて、メリットが活かされるような「推進」の協議を行いながら、「中立」の議論だと言うのである。

 議会や市民集会などの開かれた場では、だれも積極的に合併推進論は展開しない。にもかかわらず合併の既成事実だけが進んでいる。まちづくりのビジョンがいくつか示されて、公の場で合併の効用が議論されることを市民は期待しているのに、どうにもそういう方向に話は向かわない。



どこで議論しているのか

  どこで議論しているかというと、二市二町与党議員連盟なるものが「二〇一〇年までの合併を決議している」といっている。その勉強会には自治省の役人や県の職員もやってきて、懇切丁寧に説得する。私などにはお声もかからないから、そこでどんな話がされているのか知りようがない。密室で協議が進行していくことの気味悪さを感じるのだ。パブリックな公の場で「公論」が形成されていくのではなく、あらかじめ周到な多数派工作が先行しているのだ。

 国政では密室でコトが決められたり、情報が操作されるクレムリン並の首相の交代劇に批判が集中しているが、同じことは地方自治についても言える。本紙前号のインタビューで保坂展人氏はそれを帝国憲法下のカニの甲羅にたとえていた。そういう前時代的遺物の合意形成の方法というか、私も自分の街でそういうものを目の当たりにしている気がする。こういうときどうしたらいいと思います? 真っ向から挑む以外ないでしょう。「ちゃんと議論しろ」とか「住民投票で決着しろ」とかね。