2006年09月08日

水車小屋の夢

 水車小屋の夢
 
                  ふじみ野市議 鈴木啓太郎
 
 小学生の頃、私の一家は東京三鷹市の井の頭で暮らしていたのですが、隣に住んでいた大家さんが飯塚さんという方で、流通関係の会社の社長をしていました。
 
 飯塚さんは15年前、仕事から退くと、居宅を処分して、山梨のとある山間部に土地を求め、農業をやりたいと申し入れます。地域の人たちは相当にとまどったうえで、飯塚さんを受け入れることを決めます。
 
 そこから飯塚さんの新しい人生が始まるのですが、私は3年に一度、2年に一度と訪ねていくうちに、徐々にその魅力に引きつけられ、居心地の良さを味わっていくようになりました。
 
 飯塚さんはまず、敷地を流れる小さな沢を利用して水車小屋を建てました。その水車には二本の杵と木製の歯車が付いていて、石臼を回します。杵で米や麦を搗(つ)き、臼で粉をひくことができるのです。そば打ちの免許皆伝級の腕前を持つ飯塚さんは、そばを栽培し、臼でひくことが何よりの目標でした。電気を使う製粉器では、味が壊れてしまうということもありましたが、水車という日本古来の動力を生活の中に復活させたかったのだそうです。
 
 周囲の人の薦めもあって、田んぼを借り、古代米である黒米を作付けします。農薬を使わず、田んぼにはワラを敷いて、冬も水を入れ微生物を育てる農法を採用しました。こうしてできた黒米はすぐそばの「道の駅」で特産品として売られるようになりました。それから大麦の栽培、炭焼きと挑戦を続けていくのです。
 
 80歳になった飯塚さんは、「あと5年間生きていたら」と私に語ります。「下流の町場にある水車を復活して村人が活用できるようにしたい」。そのために各地の水車を訪ね、技術を掘り起こし、若い宮大工を説得して、その独特の工法を体得してもらうように働きかけていきます。
 
 飯塚さんの田舎暮らしは、一見すれば普通の生活ですが、その気持ちの中にはいつでも「やりたいこと」でいっぱいです。私なりに解釈すると、ここ半世紀の間に私たちが失ってしまった生き方、自然とともにあった暮らしの良さを、次世代に残したいという想いを強く感じます。採算を度外視する姿勢は、独りよがりの自己満足に見えるかもしれませんが、ひょっとすると、これは世の中を変える力になるのではないか。そんなふうに、私にも思えるようになりました。
 
 最初はちょっとした手伝いのつもりだったのですが、そういう想いが強くなると、夏に一度が、毎月に一度になり、いまでは時間の許す限り通って、なれない農作業の世界に引き込まれてしまうことになりました。
 私は地方政治に身を置いて、議論や書類のやりとりで世の中をよくするために働く毎日ですが、飯塚さんのように、生きることで社会に係わる仕方も大切ではないかと思っています。