2006年09月30日
またもや、モヤモヤの事故調査委員会
やっぱり報告書は出なかった。資料として傍聴席に配られることもなかったという。
「という」というのは、私は下の階にいて5階にはいかなかったからである。私としては、こういう情報公開に対する態度はどうしても許せない。
2006年09月30日
やっぱり報告書は出なかった。資料として傍聴席に配られることもなかったという。
「という」というのは、私は下の階にいて5階にはいかなかったからである。私としては、こういう情報公開に対する態度はどうしても許せない。
2006年09月27日
2006年09月25日
プール事故に関連して、安全点検を行った点については、以前のブログで紹介したが、一般会計補正予算(第3号)の概要として内容が紹介されている文章を掲載する。
平成18年度ふじみ野市一般会計補正予算(第3号)の概要
1 総括
本補正予算は、市所管の全施設等を対象に実施した施設等の緊急総点検により、新たに発見された、施設等の緊急修繕箇所を対処するために編成を行った。
2 予算規模
一般会計予算規模
補正前の予算総額 287億4,629万3千円
補正予算額 2,612万4千円
補正後の予算総額 287億7,241万7千円
3 歳入歳出補正予算の状況(一般会計)
(1)歳入の主な内容(予算事項別明細書3及び内訳明細書1頁)
・分担金及び負担金 △110千円
土木費負担金(道路課) △110千円
(2)歳出の主な内容
■健康福祉部
子育て支援課
・保育所用備品の購入事業 468千円
【事業概要】(予算内訳明細書2頁「保育所運営事業」)
市内保育所(亀居保育所)の老朽化した保育所用備品(すべり台)を設置する。(撤去込み)
子育て支援課(児童館)
・児童館門扉設置工事 483千円
【事業概要】(予算内訳明細書2頁「放課後児童健全育成事業」)
市内児童館で門扉の無い児童館(第3児童館)について門扉の設置を行う。
■都市政策部
都市計画課
・荒川運動公園側溝蓋改修工事 5,250千円
【事業概要】(予算内訳明細書2頁「公園維持管理事業」)
荒川運動公園の側溝の一部に蓋が無いため、蓋を掛ける。
・緑地広場施設修繕 231千円
【事業概要】(予算内訳明細書3頁「緑地維持管理事業」)
緑地広場内に設置しているベンチが破損しているため、設置修繕を行う。
■教育委員会
総務課
・小中学校の備品購入事業 489千円
【事業概要】(予算内訳明細書4頁「教材・理科備品整備事業」)
市内小中学校の老朽化した教材備品の買換えを行う。
・小学校施設修繕等 7,120千円
【事業概要】
・福岡小学校 床張替修繕
・駒西小学校 給食用昇降機修繕
・西小学校 体育館緞帳巻上機修繕
・元福小学校 屋上外壁修繕
屋上外壁修繕設計委託
教室出入口引戸修繕
・ さぎの森小学校門扉修繕
・中学校施設修繕等 6,800千円
【事業概要】(予算内訳明細書5頁「中学校施設管理事業」)
・葦原中学校 非常階段等修繕
非常階段等修繕設計委託
学校教育課
・教育相談室施設修繕 516千円
【事業概要】(予算内訳明細書3頁「就学・教育相談事業」)
上福岡教育相談室(上福岡1-1-3)の窓の手すり及び照明器具保護ガード等を設置し、通室児童生徒の安全確保を図る。
体育課
・体育施設修繕 2,127千円
【事業概要】(予算内訳明細書7頁「社会体育事務事業」)
体育施設については、駒林体育館の通路、階段の段差解消修繕や踊り場の柵修繕及び、大井総合体育館の談話室スロープ修繕などを行い、利用者の安全確保を図る。
上福岡図書館
・上福岡図書館施設修繕等 1,172千円
【事業概要】(予算内訳明細書6頁「管理運営事業」)、
2階からの非常階段のフェンスが低く屋上に出てしまう可能性があるため、フェンスを高くする修繕を行う。 また、敷地内にある高木2本が、倒木の可能性があるため伐採等を行う。
上福岡西公民館
・上福岡西公民館施設修繕 932千円
【事業概要】(予算内訳明細書5頁「上福岡西公民館維持管理運営事業」)
上福岡西公民館の身体障害者用トイレの扉が重く滑りが悪いため、扉の改修修繕を行う。
上福岡歴史民俗資料館
・上福岡歴史民俗資料館施設修繕 536千円
【事業概要】(予算内訳明細書6頁「歴史民俗資料館事務事業」)
上福岡歴史民俗資料館の正面出入口の自動ドアに誤作動が多いため、修繕を行う。
2006年09月23日
「もう私は切れた。今度という今度は切れた。」午後17時40分。休憩となった議場を出た自民クラブ、田中代表は憤りをぶちまけた。すぐに議長室へ、会派代表が集まる。少し遅れて共産党代表の塚越氏もやってきた。「あの発言は私は許さない。誠意ある対応をしない限り、審議再開には応じない!」部屋から漏れた声で聞き取れたのは、このセリフだった。
問題となった岩崎氏の発言は次の部分である。
「それでは、議第22号議案「障害者自立支援制度の充実を求める意見書について」日本共産党を代表いたしまして賛成討論を行います。最初にこの提案については、日本共産党が提案を行いましたが、この趣旨について各議員が努力をされ、一致して今回の提案となりました。えー、それでは・・・」
この日、共産党は4本の意見書案を提出していたが、代表者間で協議を進め「障害者自立支援制度の充実を求める意見書(案)」については、趣旨を活かして、議決に持ち込むことで話がまとまった。(その他の3本は、賛成少数で否決)。
このため、提出者であった山口議員は議案の撤回に同意し、撤回の議会承認は全会一致で行われた。そして今度は案文の修正を行い4会派の代表が署名し、議場では田中代表が提案理由説明を行い、案文を朗読した。「最初に日本共産党が提案」という岩崎氏の発言は事実ではあるが、礼節を欠いていたのは否定できない。
このほかにも、岩崎議員がプール事故の直後テレビ取材で、「職員は(安全管理をせず)お金を集めていただけ」といった発言をし、代表者会議で撤回を迫られ、議会初日に各会派を回って「迷惑をかけた」と謝罪していた。一般質問で山口議員は「業者に弱みでも握られているんですか」と発言して、撤回を余儀なくされた。そのたびに代表者間の調整が続いた。
もうひとつの要因として、100条委員会をめぐる問題は無視できない。代表者会議では「100条は時期尚早」という見方で共産党の塚越代表も一致しており、そのため議会冒頭で全会派による「特別決議」を行ったと私などは説明を受けていた。ところが、議会最終日になって「100条」を共産党が動議で提案すると通告があり、これも自民クラブをいらだたせていた。
この間、共産党という組織にしては珍しく内部の違いが透けて見えた。旧上福岡の議員は、先の岩崎氏を除いて全員が「プール事故」を一般質問に取り上げ、内容的にも市長の責任追及というトーンが強いものだった。山川、山口氏は一般質問で「市長・助役を尋問する」ため100条は必要と力説したが、旧大井の共産党議員で「プール事故」を質問項目に入れたのは6人の議員中、新井、塚越両氏のみで、質問も「契約や安全管理のあり方」といった点に限られ、市長追及型との温度差は明らかだった。
議会は執行部への質問の権限があり、市長などを追及するならわざわざ100条を適応する必要はない。パフォーマンスは見え透いていて、説得力を欠いていた。それでも私たちは、流会を前に議論を続け、青山議員などは「100条」について流会で封殺せず、議決で決着をつけることを主張したが、岩崎発言に怒り心頭の代表者たちは頑として受け付けない。
12時近くなって、共産党から話し合いの申し入れがあり、再び代表者と正副議長が会談したが、どのような話し合いだったのか、詳細は明らかではない。時間だけが経過し、会期日程である21日の24時を回って、議会は自然流会となった。自立支援法の決議も廃案となったのは残念だ。こんな流会は私が議員になって初めての経験である。他の議員からは、共産党の失言を捉えて「100条動議」を制した田中代表の機転に賞賛の声も聞かれた。
今後は29日の事故調査委員会報告と、10月の臨時会開催に焦点は移る。いずれにせよ議会という公の場で、論戦に決着はつけねばならない。
2006年09月22日
市議会最終日
速報(午後18時30分)
市議会最終日、共産党が提出した決議案をめぐって、議会が紛糾し、休憩に入った。今、審議は中断しており再開の見込みは立っていない。
議員の提出する意見書案を共産党が4本提案したが、このうち、障害者自立支援法をめぐる意見書については、各会派の賛同が得られることから、いったん提出者が議案を撤回し、字句の修正などを行って合意を形成し、4会派のそれぞれの代表者が署名をして、再提出された意見書の審議に入っていた。
この意見書の賛成討論で、共産党の岩崎氏が「もともとは共産党の提案したもの」と発言したので、他会派が猛反発。流会も辞さないと憤りをぶちまけた。このため、現時点で審議は中断し、議会は空転を始めた。
(午後22時30分)
再三にわたる代表者会議の開催にもかかわらず、事態の進展は見られない。硬直化したまま、時間だけが刻々と過ぎていく。
(午後23時)
共産党は、控え室を出て、傍聴者も議員も議場に入ったようだ。議会を開けというパフォーマンスなのだろう。しかし、代表者会議のメンバーは、共産党からの正規な謝罪がなければ、議会を再開するつもりはないようだ。
これまでの審議で、予定された議案はすべて議決されており、これは有効である。きょうこのまま12時を過ぎて、会期日程を経過すれば、未消化日程である議員派遣、議会運営委員会の継続調査は未決定のまま流会ということになるだろう。当然、4会派代表が共同提案した意見書も審議未了のまま廃案となる。
(午後24時)
会期が終わった。議会は自然流会となった。これによって終了直前に提出されるはずだった「100条委員会による事故調査」をもとめる動議も提出される場を失ってしまった。これにより次の焦点は、29日の事故調査委員会報告を待って、議会がどのような対応をするかに移っていくことになるだろう。
議論の焦点となった意見書は次のとおりである。
■障害者自立支援制度の充実を求める意見書(案)■
障がい者が地域で自立した生活を営むことができるように、必要な福祉サービスの給付や支援を行うことによって、障がい者が安心して暮らすことのできる社会を実現することを目的とする障害者自立支援法が昨年10月に成立し、本年4月から一部施行、10月から本格的施行となる。
この法律が施行され4ケ月が経過した実態を見ると、原則一割の利用者負担を理由に、特に所得の低い方が通所施設のサービス利用を控える傾向が顕著となっている。
また、施設関係者からは、施設報酬の算定が月額から日額に変更されたことによって、特に通所施設の経営が悪化し、今後の運営に対する不安が高まっている。
本年10月から新体系サービスに移行するグループホームや、地域活動支援センターに移行できる無認可の小規模作業所では、報酬額等が十分でないことから、移行することに不安が高まっている。
この法律のねらいとする障がい者サービスの充実、推進の観点から、下記の事項にかかわる制度の見直しについて特段の措置が講じられるように強く求める。
記
1、通所施設の利用者負担の軽減措置を強化すること。
2、毎日の利用が困難という精神障がい者の特性に応じて、精神障がい者社会復帰施設の新体系移行後の運営支援を強化すること。
3、報酬日額化の影響が特に大きい通所施設に対する激変緩和措置を強化すること。
4、就労対策の抜本的強化を図るため、内容を充実すること。
5、積極的な整備が必要とされるグループホーム、ケアホームについて、地域の実情とかけ離れた報酬基準額を是正すること。
6、障がい程度区分の認定において、知的障がい者と精神障がい者に関して、実際に要する支援の必要性を低く評価する傾向があることから、障がいの特性を適切に反映できるよう改善すること。
7、ノーマライゼーションの実現をめざし、地域福祉を、先進的かつ積極的に進めてきた地方自治体における実施水準を低下させないよう、地方交付税の措置、国庫補助金などの財政支援を強化すること。
以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。
2006年09月09日
NPO再考(2006年)
はじめに
98年の法制定以来、国内NPO法人(特定非営利活動法人)の数は増え続け、05年の統計では、法人登録数は2万5000を超えてなお増加傾向はとまらない。
多くの自治体でNPOの存在はめずらしくなくなったし、テレビや新聞といったマスコミに取り上げられる回数も増えた。「NPO理事」といえば、何らかの肩書きとして社会にも通用するかのようであるし、07年問題で大量退職する団塊世代の受け入れ先としても、あるいは、地方自治体の指定管理者制度の受注先としても、NPOはしばしば話題に上るようだ。
だが、だからといってNPOが広く社会に受け入れられ、「新しい公共」であるとか「官と民の協働」などとして、人びとに認知されたというのは言い過ぎだろう。
実際のところ、自治体の指定管理者導入で受注指定法人となったNPOは10%に満たないし、それも旧来の管理委託を行っていた団体がNPO法人を取得したという例が圧倒的に多い。一方では、暴力団関係者がNPO法人を隠れ蓑にしているとして解散を通告され、法人は作ったものの実態の不明なもの、連絡先すら定かでなく業務改善命令が出されるなどのケースが後を絶たない。ある調査によれば、NPO法人の半数以上が、こうした実態なき法人となっていると報告している。
本稿では、こうした法制定以来の現状を踏まえつつ、NPOとは何かに迫ってみたい。また、そうしたNPOは、われわれ社会運動にとって何らかの役割を担いうるか、といったいささか自分たちの現状に引きつけた議論を試みることにする。
そこで大変アプリオリではあると思うが、まず最初に、ここに政治と企業、公と私という縦横二つのベクトルを設定して問題を考えてみることにしたい(図1)。政治と企業を横軸に、公と私を縦軸においた図を念頭に置いていだけないだろうか。ちょうどこの両者の中間項にあるNPOの位置を明確にしていきたいのである。
なんのためにNPO
3月11日朝日新聞be Report欄に「NPOで成功するコツ」という記事が組まれた。
この記事によれば、「成功するための7箇条」とは、1、はっきりとした使命を。2、仲間選びは慎重に。3、自前で実態調査を。4、ない力は外から。5、財源は多様に。6、活動は楽しく。7、小さくとも成果を。となっていて各地NPOの実践例とともに紹介されている。
さてこれを見て、この点は得意だがこの点はどうも・・といった見方が成り立つだろうか。これらは相互に絡み合うのできっちりとは分類できないが、筆者なりの勝手な考えを言えば1,3,7といった目的に係わる分野を、「政治と企業」の横軸で考え、2,4,5,6といった組織編成や手法に係わる部分は「公と私」の縦軸に分けて考察することができそうである。
まず1の「はっきりとした使命」のほか、3や7に係わる分野で見ておこう。
03年5月の法改正で、NPO法の指定する特定非営利活動は、現行の12分野に新たに5つの分野が加えられ、全部で17分野となった(別表1)。このいずれかに属さないと法人認証は無理だが、この分野に属すれば官庁は「必ず認証しなければならない」ものとされている。これは許認可ではなく、認証、つまり承認という手続きだから、それほど難しい要件ではない。
たとえば、水力発電を目指したとしよう。その発電が環境保全に貢献する技術革新の要素を備えていれば、「環境の保全を図る活動」にも「科学技術の振興を図る活動」とも分類出来るので、充分に法人取得の要件を満たしていることになる。ただし実際に技術が完成して、電気の販売が可能ならば、わざわざNPOになる必要がない。企業活動としてやっていく道も選択できるからだ。
ところが「使命」の部分、つまり「環境保全」に重きが置かれていたとしたらどうだろうか。その「使命」実現を目的とするならば、企業的な採算に見合わなくとも、活動することはたくさんある。つまりより高度な技術を求め、環境的な目的に合致させるために、寄付を求めて人々に訴えることも出来るし、行政から何らかの助成を引き出すことも可能である。
しかし、より強くその「使命」を意識するなら、やはりNPOである必要がなくなる。政治的な目的(政権の獲得、政策への介入)をもって、政党もしくは政治団体を志向する方が「使命」の実現には遙かに有利だったりするからである。
NPOの領域はこの企業と政治の中間(スキマ)に実に曖昧な形で位置している。
NPOの行う事業は、収益的な事業もあれば、社会的な課題の解決をかかげる場合もある。たとえば「環境保全」を目的としたNPOでも、実際にやっていることはバザーなどの収益事業のみというのもまったくかまわないのである。アメリカの環境団体のように、派手なパフォーマンスで世論に訴え、ダイレクトメールで寄付を募るのもいいだろう。
肝心なことは、市場経済的に収支のバランスが成立して活動を継続的に保持するから、法人格の取得の必要が生じるのであって、何らかの事業、誤解を恐れず言えば企業的(経済的)な仕事をしないならNPOになる意味はないということである。その意味で、事業化する分野を自分で調査、研究、開発し、具体的な成果を積み上げて、組織の活性化を図るなどの技量が必要となるというわけなのだ。
どうやってNPO
今度はそうした組織の編成や手法の問題(7箇条の2,4,5,6)を「公と私」の縦軸で考えてみよう。
NPO法人は「営利を目的としないこと」、つまり非営利のセクターであるということが大前提になる。
営利を目的としないということは収益事業をやってはいけないということではない。それは「利益があがってもそれを構成員で分配せず、また解散時にはその財産を国等に寄付する」こととされる。要するに組織の財産を構成員の財産として処分することや、私有財産と見なすことはできない、といっているのだ。もちろん利益を上げて、報酬や給与として社員に支払われることには(役員には制限があるが)なんら問題がない。
このほか、法制では組織の構成、財政報告、情報公開などの手法が事細かに決められており、一定規模以上のNPOとなれば、事務手続きを行うだけで専属の事務員を必要とするほどの事務量になる。実際にやってみるとものすごくめんどうくさい。どうしてこんな手続きが必要なのか。それはNPOの公的性格が強く意識されているからである。
日本では公共的な領域は、国家・行政を除けば、非営利部門が担うとされる。法人とは個人に認められる諸権利を、組織に与え一個の人格と見なす考え方だが、学校法人、宗教法人など独自法で定める以外の「公益」の法人を規定しているのが民法34条だ。具体的には公益法人、社会福祉法人、農協、毛色の変わったところで生協など協同組合が含まれる。これらはすべて監督官庁の許認可(NPOのように認証ではない)で成立し、基本的には行政の下請けとしての位置を与えられ、特権的な税制をうけたり、ときに天下りの機関になったりもする。
公益法人(財団法人・社団法人)は収益事業への課税において「みなし寄付」が認められ、法人税には軽減税率が適用され、預金金利などの金融収益も非課税となる。なお社会福祉法人の場合は、みなし寄付の範囲がより大きく、介護保険事業など非課税である。
NPOも原則非課税だが、法人税法上の収益事業(33業種)は課税対象とされ、住民税の均等割税も支払うことになる。この差別的な待遇は日本の特徴といえるのだが、既存の公益法人擁護のためか、NPOは私人に近い扱いを受ける。
これが公と私の狭間にあるということの意味である。私人なのかと思えば私的財産は認められず、報告義務や手続きに縛られる。公人かと思えば税法上の優遇処置は受けられないのに、私人としての自由さもない。このどっちつかずの中途半端な形態がNPOということになる。
中途半端なスキマ産業としてのNPO。こうした定義は、否定面が強調されるように受け取られるかもしれないが、スキマ産業は、言い換えればベンチャーである。専門的な領域もあるが、どちらかといえばその手軽さを活用して、仲間づくりや、問題を広く外へ訴えたりする組織の編成や手法を得意とする。そんな活動のあり方がNPOの特徴として浮かび上がってこないだろうか。
もう一つの特徴は行政を動かしやすいことだ。今、地方自治体はアウトソーシングに血道をあげて、何とか、行革=小さな自治体づくりを成功させようとしているから、「非営利」、「市民的」で「公共的」なイメージを持つNPOにとっては委託事業や、指定管理者となるチャンスでもある。もちろん正面から訴えて、助成を引き出す道もある。
「7箇条」のいう多様な財源とは、寄付もあるが、こうして行政や企業とタイアップしている事例がほとんどだろう。「官との協働」など多くの人が未経験だからためらいはあるかもしれない。しかし、仲間づくりやネットワーキングなどの領域は、市民運動や社会運動が経験していることと何も変わらないし、むしろ専売項目だといえる。
図に立ち返ってみてみれば、どちらかといえば「政治」の側に近く、どちらかといえば「私」の側に近くて自由度が高い。そんなNPOをわれわれが目指していくことは可能ではないだろうか。
どこからきたのかNPO
非営利部門の諸組織がどのように成立しているかは国によって違うので、その自由度や形態は実に様々だが、一般的に政府・行政の役割が大きければ、非営利部門の役割は小さく、国家行政が縮小を図れば、非営利部門が伸張するという傾向は共通である。
アメリカなどはもともと政府の権限は限定され、非営利部門は自ずと成長したが、日本は政府・行政の権限が大きく設定されており、非営利部門は限られた領域に押しとどめられていた。NPO法などが登場したのは、新自由主義的な「小さな政府」路線との関係で、行政が「民間でやれることは民間で」とアウトソーシングしていく領域に、企業では担えないスキマが生まれることを懸念して、そこをNPOなどに下請的に埋めさせようという意図が読みとれる。
従って、行政にとってはNPOをいかにコントロールするかが課題だが、NPOにとっては単なる下請けを越えて、社会の中にいかに役割と位置を占める活動を拡大していくかが課題となる。そこで税制の優遇化、制度の自由化などは不可欠の要求項目である。
とはいえ非営利部門の原点は、政府・行政の不備や非力、を民衆自身の努力によってカバーしていく、その意味では「スキマを埋める」作業にあったことは確認しておくべきだろう。
こうした非営利組織の原初とでもいうべきものを、ここでは資本主義発生の端緒でもあったイギリスの、協同組合運動の発祥として世界に知られるロッチデール原則に立ち返って見ることにする。
話は1844年にさかのぼる。
産業革命を経て発展したイギリス資本主義が、エンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』に見られるような、小生産者の没落による失業と貧困に苦しむ時代を迎えていたころである。イギリスの協同組合運動は、そういった社会状況のなかから労働運動や社会主義と並行して起きた。
ランカシャー州ロッチデールで、世界初の協同組合である「ロッチデール公正先駆者組合」が28人の紡績工らによって設立されたが、ここを発祥の地として後に確立していく考え方が「ロッチデール原則」と呼ばれ、協同組合の世界的な運動に影響を与えていくのである。
すでに伝説となっている物語は次のようなものだ。
最初に組合を立ち上げた紡績工たちは、自分たちの一か月分の給与1ポンドを出し合って、小さな店を開くことから始めた。取扱い商品は小麦粉、オートミール、バター、砂糖の4商品だけ。なおかつ開店時間も月/土曜の晩に限られた。ところが、同組合は著しい成長をみせて、わずか12年程度で組合員数50倍、基金総額約400倍にまで成長をとげる。1867年には図書室など教育施設まで備えるセントラルストアをオープンさせるのである。
先駆者組合設立当初1844年の最初の規約には、「自立した国内植民地の設立」を目的としており、「国や行政に、企業に依存するのではなく、必要とあらば自らの手で働く機会を作り出す。必要とあらば台地を耕し、自らの手で食料も安定確保しよう」(内橋克人『共生の大地』)という思想が息づいていたという。そのために「一人一票の議決権」「現金での取引」や「公正で品質の良い商品」など今に生きる数々の「原則」が取り決められていくのである。
有名な「万人は一人のために一人は万人のために」というスローガンも、協同組合運動で使われたのが最初だそうだ(『新版協同組合事典』家の光協会四〇頁)。これらはロバート・オーエンを祖とする社会主義者たちの考え方だった。
先駆者組合が案出した原則とその世界的な変遷については割愛させていただくが、ここでは「対出資金利子の固定/制限」と「購買高配当」といった原則だけは紹介しておこう。
「対出資金利子の固定/制限」は、出資金に対する利子を固定し、売上高が増加しても利子配当の高騰を制限する仕組みである。売り上げの増加で得た資金は共同の利益のためのフォンドづくりや投資にまわすためで、「他の組合援助」のほか「教育施設」や「禁酒ホテル」建設など福利厚生も想定された。
もうひとつは「購買高配当」。現在のポイント制のようなものだが、買ってくれた人には利益の一部を還付する仕組みで、広告費や中間商人を排除するぶんの利益を利用者に回して、購買インセンティブを高めたわけだ。
このようにロッチデール原則は、一方で市場経済に適応する形で協同組合運動を自立させながら、他方で「公正」を社会的に貫徹させる形で資本主義経済に対する批判を展開したことに特徴があった。貧困や失業を乗り越えて相互自助を遂げていこうとするソーシャル・アントレプレナー(social entrepreneur)精神は、まさにここに息づいていたのである。
日本のNPO法は「小さな政府」路線との対応で、行政の都合から生まれたものであり、生き延びていくためには、おそらく、ほとんどの場合に、行政の下請的な性格は免れない。そういう意味では、NPO本来の特性を備えた非営利部門としての組織、つまり自立した共同体でありながら社会改革も提案できるような要素を持った組織はまれであるというのもうなずける。しかし、「小さな政府」がもたらす、様々な社会的矛盾を改革していくために、政府・行政機関とは一線を画したNPOが成長していくならば、その果たすべき役割はけして小さくないのである。
NPOはどこへ行く
国家は、家族その他の中間的諸組織から成り立つが、そこでの支配権はだれが握っているのか、これは政治学の大きなテーマだった。人間の社会生活の営みは、家族やその属する共同体を起源とするという考えにそう異論はないだろう。だから家族を支配するのは、国家レベルの一般的な原則ではなく、家族や共同体に固有の原理でなければならないという考えが成り立つ。
ここから「補完性の原理」(Principle of subsidiarity)という命題が成立する。
すなわち人びとの生活の問題は、その生活に最も近いところにある共同体が決定し、問題の解決を図らねばならない。ときに、その手に余るような場合にのみ、さらに上部にある連合的な共同体の手に委ねられるが、だからといって、下位レベルにあるものをコントロールしようとしてはならず、かかわりは補完的であるべきだ、とする考え方である。
これに対し、国家にこそ支配権を認め、唯一人格を認めるというのは、今なお、国際社会の主流をなす考え方である。そこでは、家族及び共同体など中間的組織は従属した位置にしか置かれない。
しかし、近年こうした国家主権の考えは大きく揺らぎ始めた。なにより地球環境問題が国境という枠にとらわれていては解決不可能であることを突きつけたし、グローバル化する情報、経済があたらしい時代を引き寄せた。ここにいたって国際協力のあり方は、大きな変化を見せてきたのである。
その典型的な出来事は、いうまでもなくEUの成立である。「補完性の原理」が盛り込まれたマーストリヒト条約は、ヨーロッパ11カ国の外交・安全保障政策の統合、経済・通過の統合などのほか、超国家機関としてのEU設置を正式に発足させたのである。
ギデンズは『第3の道』で次のように書いている。「サブシディアリティは、超大型国型でも単なる自由貿易圏型でもない政治的秩序を構築するために理念であると同時に、国家の影響力を刷新するための理念でもある」(邦訳128頁)。
そもそもは、EUの枠組みに吸収される事によって、それまで各国が行って来た文化や政策の独自性が制限されるのではないかという不安や不満に対応するため、「それぞれの国で出来る事は極力その国でやってもらう。国のレベルでは不可能な、EUで行うしかないと判断される問題についてのみ、EUが権限を行使する」という原則を打ち立てたことにはじまる。
さらに、この考え方はEUと加盟国の関係のみに留まらずに発展し、国と地方自治体との関係にも、地方自治体と地域あるいはNPOとの関係にも適応されていく。いまやヨーロッパ統合の進展と共に、地域や都市の役割の増大といった傾向がさまざまな形で起きている。まさにローカル化はグローバル化に対応して進展し「国家の影響力を刷新」しようとしているのである。
イギリス、ブレア政権のシンクタンクのひとつ「DEMOS=デモス」が、97年に発表した報告書「The rise of the social entreprenerur=社会企業家の台頭」によれば、問題は次のように発想されている。
「人々は、福祉のためにもっと税金を払うことには抵抗する。しかし、社会のセーフティ・ネットが失われることにも反対する。」
周知のように、既存の社会システムがある種のこう着状態にあると、人びとには理解されている。しかしサッチャー政権が行ってきたように、コストを削減し、サービスを低下させるだけでは、社会の不安をかき立て、人びとの同意は得られない。
ではどうするのか。
「人々を貧困と依存の状態にとどめおく現在のシステムとは違う、問題解決型の福祉システム、アクティブな福祉システム」(引用は『社会起業家』PHP新書、町田洋次から)を作り出さなければならない。デモスが「社会起業家」に注目した理由はまさにここにある。社会の現場にあって、人びとの生活に最も近いところで、その矛盾を実践的に解決していくために、調査し、研究し、提案をしていく組織が必要だ。
既存の社会システムの閉塞性を打破していくために、政治権力を獲得して社会変革を目指すという発想も必要なことである。人々の不満を政党が上手に吸収すれば、サッチャー保守党が破れたように、政権交代は可能かもしれない。
しかし、新しい社会システムを構想できなければ、社会のニーズにこたえたことにはならない。だからこそ、あたらしい発想で、新しいシステムを築き、実践的に問題解決を図っていかなければならない。このような考え方は、ブレア政権発足時の特別顧問団に共通する考え方だったようだ。
日本でこの役割を担いうる組織の一つがNPOであることは間違いない。
行政が撤退していく福祉、教育、環境、まちづくりといった分野の空白に、私人に近い自由度を最大限に生かし、そのスキマを埋めるかのごとく活動を展開し、行政から資金を得てもけしてそれに甘んじず、自立の精神を貫き、社会変革のための提案を可能な限り人びとの生活に近い分野から行っていく。それができるのもNPOの特徴に他ならない。
2006年09月08日
水車小屋の夢
ふじみ野市議 鈴木啓太郎
小学生の頃、私の一家は東京三鷹市の井の頭で暮らしていたのですが、隣に住んでいた大家さんが飯塚さんという方で、流通関係の会社の社長をしていました。
飯塚さんは15年前、仕事から退くと、居宅を処分して、山梨のとある山間部に土地を求め、農業をやりたいと申し入れます。地域の人たちは相当にとまどったうえで、飯塚さんを受け入れることを決めます。
そこから飯塚さんの新しい人生が始まるのですが、私は3年に一度、2年に一度と訪ねていくうちに、徐々にその魅力に引きつけられ、居心地の良さを味わっていくようになりました。
飯塚さんはまず、敷地を流れる小さな沢を利用して水車小屋を建てました。その水車には二本の杵と木製の歯車が付いていて、石臼を回します。杵で米や麦を搗(つ)き、臼で粉をひくことができるのです。そば打ちの免許皆伝級の腕前を持つ飯塚さんは、そばを栽培し、臼でひくことが何よりの目標でした。電気を使う製粉器では、味が壊れてしまうということもありましたが、水車という日本古来の動力を生活の中に復活させたかったのだそうです。
周囲の人の薦めもあって、田んぼを借り、古代米である黒米を作付けします。農薬を使わず、田んぼにはワラを敷いて、冬も水を入れ微生物を育てる農法を採用しました。こうしてできた黒米はすぐそばの「道の駅」で特産品として売られるようになりました。それから大麦の栽培、炭焼きと挑戦を続けていくのです。
80歳になった飯塚さんは、「あと5年間生きていたら」と私に語ります。「下流の町場にある水車を復活して村人が活用できるようにしたい」。そのために各地の水車を訪ね、技術を掘り起こし、若い宮大工を説得して、その独特の工法を体得してもらうように働きかけていきます。
飯塚さんの田舎暮らしは、一見すれば普通の生活ですが、その気持ちの中にはいつでも「やりたいこと」でいっぱいです。私なりに解釈すると、ここ半世紀の間に私たちが失ってしまった生き方、自然とともにあった暮らしの良さを、次世代に残したいという想いを強く感じます。採算を度外視する姿勢は、独りよがりの自己満足に見えるかもしれませんが、ひょっとすると、これは世の中を変える力になるのではないか。そんなふうに、私にも思えるようになりました。
最初はちょっとした手伝いのつもりだったのですが、そういう想いが強くなると、夏に一度が、毎月に一度になり、いまでは時間の許す限り通って、なれない農作業の世界に引き込まれてしまうことになりました。
私は地方政治に身を置いて、議論や書類のやりとりで世の中をよくするために働く毎日ですが、飯塚さんのように、生きることで社会に係わる仕方も大切ではないかと思っています。
2006年09月07日
NPO法と社会運動の今後
冬になると河川や湖などで目立つようになる雁、鴨、鷺、鶴などの野鳥の大部分が、冬を日本で過ごす渡り鳥だということはみなさんご承知のことだろう。どのくらいの野鳥が海を渡ってくるのか、環境庁は毎年調査結果を明らかにしているが、実はこの調査活動は、環境庁の委託を受けた民間のボランティアによって担われている。
今年の「ガン・カモ類一斉調査」は例年どおり、関東以北に大雪が降った一月一五日に実施されたが、わたしもこれに参加した。
民間ボランティアに依存する行政
私たちの担当したエリアは、近郊河川約一五キロの区間だが、深いところで膝下に達する雪の中を終日歩き回り、留鳥であるカルガモや、ヒドリガモ、尾長ガモ、コガモなどシベリアから海を越えてきた野鳥たち一〇〇〇羽近くをカウントした。このほかにも、大型のアオサギやオオタカなどレッドデーターに絶滅危惧種として数えられる野鳥を見ることができて、残された貴重な自然を守ることの大切さを改めて確信した。
しかし、ここでいいたいのは環境調査の大切さについてではない。環境庁の実施する調査活動が、民間のボランティアによって担われているということなのだ。
環境問題に限らず、こうしたボランティア活動の団体をNGO(Non Government Organization)=非政府組織、もしくはNPO(Non Profit Organization)=非利益組織と呼び、社会福祉や国際援助活動などの分野での活躍が増えている。ボランティア後進国といわれた日本でも阪神大震災後、一年間に一四〇万人がボランティア活動に従事したといわれ、国内でのボランティア活動が大きく見直されるきっかけにもなった。
ところが昨年の地球温暖化防止京都会議(COP3)には、世界各国から三〇〇〇人のNGOが参加し、NGO活動の国際的水準を私たちにも見せつけた。そこでNGOの活動家は、政府代表と同席し、ロビー活動や会議場での発言など、会議の意志決定に対して影響を与えるような活動を繰り広げた。NGOが、会議の席上で政府代表と論議をかわすというのは世界の趨勢だという。
これに対して日本のNGOは何ともお寒いのが実状だ。
日本政府のNGO排除の姿勢もかたくなではあるが、その現状を越えて、政府の意志決定に参与しうる影響力を持つNGOはほとんどいない。今のところ、ボランティアといえば私たちの「ガンかも調査」のような行政の下請け的活動をするのがせいぜいである。この違いはどこにあるのだろうか。
この点を考えていくために、まずは自社さ政権の合意事項のひとつでありながら、なかなか成立しない市民活動促進(NPO)法の動きからみておくことにしよう。
NPO法案の国際比較
それでは、現在の法案ではどのような問題点を見ておくべきだろうか。
まず、市民活動の範囲から「政治・宗教活動の除外」を明文化していることだ。これでは沖縄の基地撤去を求めたり、政治家や官僚の汚職を追及する、あるいは諌早干拓の中止を求めたりするような、政治、行政への批判などは「市民活動」には含まれないとみなされる可能性がある。
また、法人格取得のためには、都道府県が「認証」の権限をもち、場合によっては「立ち入り」調査したり、認証を取り消す権限ももっている。所轄官庁の思惑次第で操作可能となり、市民活動の促進どころか、管理統制型の法律だという批判があるほどだ。
さらに、非営利民間団体がこうした法人格を取得するには、現行民法との整合性を問題にせざるを得ないため、市民団体が一番必要としている税法上の優遇措置、とくに寄付金控除や郵便物の低料金化などは盛り込むことができないのである。
これらの点は、国際的なNPO法と比較すると問題点が浮かび上がる。たとえばアメリカでは法人化は州法で定められるが、書類を提出さえすれば、認証されるというのがほとんどだ。税金免除も、非営利で慈善的事業ならば申請に応じて団体のものだけでなく、個人の寄付についても免税となり、それが所得の五〇%まで認められている(米国歳入法)。
英国では、一九六〇年のチャリティ法で、チャリティ委員会に市民活動団体を登録すれば公益活動団体として認められ、同時に税制上の優遇処置を受けられる(所得税・法人税免除、資本利得税、不動産税も非課税)。さらにコブナント(捺印契約)によって、三年以上の寄付を約束すると寄付にかかった税金(約二五%)が団体に還付されるという仕組みも作られている(『市民公益活動』佐野章二・公人の友社)。
こうした税制面での優遇策によって、一度NGOなどに寄付すると、四月の税制申告前にはNGOからの低料金郵送のダイレクトメールが殺到する(『アメリカは環境に優しいのか』諏訪雄三・新評論)のだそうだから、資金面で相当のメリットがあることが分かるだろう。
これに対して、日本のNPO法の場合は監督官庁が、内容に立ち入ったり、報酬を受け取る役員の割合を定めたりと、行政側の介入が過度に規定されたものになっているのである。社民党などでは、民法の一般法の改正まで展望することはできない代わりに、付帯決議で将来民法改正を二年後に見据えるという条項を盛り込もうとしているようだが、自民党サイドの抵抗によって実現されるかどうかは分からない。
ともあれ、こうした現状においてでも、とりあえず法案が可決されれば、幾多のボランティア的な市民活動団体が、社会的に認知された「法人」として登場するのは間違いない。そしてそのことは、社会的にはどのようなインパクトをもつのだろうか。
この与党案がまとめられていく経過を見ると、自民党は、ボランティアに行政の下請け機関としての活動を求め、市民活動団体の管理・監督を法案の骨子においたのに対し、社民党、民主党はできるだけ幅広く市民団体を法人に取り込んでいくことに眼目をおいているという違いがわかる。
ここで思い出しておくべきなのが、日本政府によるNGOの意図的な育成政策だ。
九二年六月にブラジル、リオで開催された「地球サミット」で日本政府はこっぴどい批判を受けたことがある。政府代表からNGOを排除したからである。日本政府が正式に国際会議にNGOの代表を加えたのは、この後、九四年九月の「国際人口・開発会議(カイロ会議)」からだ。この会議を前に、外務省は国内のNGOと会合を開き、今後はODA(政府開発援助)について「プロジェクト段階からNGOとの対話を強化する」という言葉を、代表演説の中に盛り込むと伝えたという(『共生の大地』内藤克人・岩波新書)。
ここから政府の意図的なNGO育成政策が始まるのだが、その結果「海外協力」活動をしていると称する日本のNGOには、JICA(国際協力事業団)のプロジェクトによる「半政府組織」が多くを占めており、ODA資金に依存するものがほとんどだ。
昨秋の京都会議で政府は環境ODAなる新たな途上国援助構想を打ち上げたが、日本のNGOで、こうした政策を批判し得る団体は、グリンピースや反原発団体を除いて皆無に等しい。NGOの大部分が政府計画へ無批判的に参加し、事業協力をおこなう。つまり「ノン・ガバメント」とはいえない代物になっている。
周知の通り、JICAは大型の開発事業の計画、開発を担当しており、日本のゼネコンの収益事業に貢献しているのが実態だ。だからもちろん「ノン・プロフィット」ではない。
政府資金を使い、企業の収益事業に参与するNGO・NPOなど、そもそも論理矛盾であり、国際的には「ニセNGO」としての評価しか受けない。日本のNGOの大部分は、国際社会のダミーとして、いわば「上から」つくられたのであって、反政府的なムーブメント形成が巧妙に回避されているのである。
こうした日本型NGOの性格を考えたとき、NPO法案成立とともに登場するNPOもまた、行政の下請け業務を担うことを骨子とするだろうということは容易に想像しうることである。高齢化社会を迎えて、資金面でも人材的にも手詰まりに陥った行政当局が、民間活力のひとつとして、「ボランティア」を当て込み、行革の一環としてボランティアの活用をてぐすねひいて待っているというのも実状なのである。
では私たちはこうした現状に踏まえて、冷ややかに法案の推移を見据える以外ないのだろうか。
「政府の欠陥」と「市場の欠陥」
NPOが早くから社会的に認知されてきた欧米諸国ではいささか事情が違うようだ。
フィランソロピーが社会的公正の一手段として採用されてきたという歴史的伝統もさることながら、それは「新たな社会運動」という評価を与えられている。何が「新しい」のかといえば、旧来の冷戦構造のもとで成立した運動、たとえば「ベトナム反戦」などに比較して「新しい」とされるのである。
さて、この社会運動の特性を国際的政治の脈絡でとらえ返すならば、八〇年代以降のネオ・リベラリズム=新保守主義政治から見ていくべきだろう。新保守主義は、「ケインズ主義的な」アメリカやヨーロッパの公共投資、福祉政策を、政府財政逼迫の根源として批判し、民間活力の登用、減税、規制緩和などを掲げて登場した。
新保守主義のイデオローグであるフリードマンは、「福祉型国家」を「ニューディールとフェビアン協会の社会主義」と論難する。その場合「福祉型国家」とは二九年恐慌への対策として実現された国家的な需要創出による公共事業投資といった国独資政策や、他方、冷戦期に「社会主義」への対抗上からも実施された社会福祉政策の充実という国家政策を指している。
これらの政策が「市場の欠陥」に対する国家的な経済への介入、規制を特徴としているとするならば、新保守主義は、福祉国家が必然的に生み出す国家予算の増大、官僚機構の肥大化、財政赤字の拡大といった「政府の欠陥」を批判するものだった。新保守主義にくみせずとも、現代日本の「官僚主導」政治や、ムダの多い環境破壊的な公共投資など「政府の欠陥」の指摘には、それなりの説得力があるというべきだろう。
しかし、一方で八〇年代の新保守主義による福祉政策への攻撃は、貧富の差を拡大し、ホームレスや失業者の増大といった社会的な荒廃をうみだした。「政府の欠陥」を批判しても、それは「市場の万能」を証明したわけではない。それは改めて「市場の欠陥」を知らしめたのである。
これらのことは、アメリカでの共和党の敗北、クリントン政権の登場や、イギリスでの労働党の政権奪回の要因になった。周知のように両者とも新保守主義的政策を完全撤回したわけではなかったが、そのことは一方で、民間活力としての市民参加、情報化、分権化を押し進めるという「効果」をともなったのである。
特定の政治的イニシアチブが、意識的に市民参加、情報化分権化を「押し進めた」というのは正確な言い方ではない。福祉政策の後退という現実に直面して、七〇年アースデー以降の自然発生的な市民活動が、公共サービスの撤退というエポックを埋め込むように成長したのである。
この様子はアメリカのジャーナリスト、ハリー・ボイドの『裏庭の革命』(一九八〇年)が指摘している。ボイドは新保守主義の台頭の一方、エリートと専門家がもてはやされる風潮に抗して、新しい社会運動と民主主義が「国中に波立ちはじめた」とのべている。具体的には、住民のコミュニティ組織、協同組合、自発的な女性の検診、地域メディア、健康のためのプログラムなどだ。
ところで、ここで注目したいのは、これらの運動が「市場の欠陥」にたいして「政府の万能」を求めたのではないという点だ。
たとえば福祉政策の後退に対して旧来のごとく「政府が保証すべき」という要求を掲げたらどうだろう。それだけでは、改めて「政府の欠陥」を招くことにしかならないのではないか。では「市場の欠陥」も「政府の欠陥」も同時に越えていくにはどうしたらいいのか。
第一に、旧来主要な生産諸力とみなされていない家庭内労働、福祉労働、慈善活動、健康保持、自然保護といった非営利的な活動の社会的認知をすすめ、促進すること。そのために「スーパーファンド法」(八〇年)や、CERES(環境に責任を持つ経済活動実現のための協議会)による「バルディーズ原則」の採用など、企業に対する積極的な規制、また「情報自由法(FOIA)」「サンシャイン法」など政府情報の徹底的な公開、さらには先に述べた税制面でのNPOへの優遇処置といった社会的システムの転換である。
ここではアメリカの事例のみを取り上げたが、歯止めなき失業者の増大に見舞われているヨーロッパなどにおいて、非営利部門の拡大はもっとも重要視されている。問い直されているのは、旧来の生産指標による経済評価であり、生産力パラダイムそのものでもあるといえるのだ。
以上から明らかなように、国際的なNGOは、その名の通り、国境や国家にとらわれないノンガバメントであり、企業的収益のみが社会的富を形成するという考えを否定する、すなわちノンプロフィットであることが通用的なのだ。
欧米諸国において社会運動が影響力を行使し、組織的にも政治的にも発展したのはその運動のもつ社会的な妥当性、正当性ゆえにほかならない。既成の議会や政党、労働組合といった諸組織が影響力を失っていくのとは反比例して、それは草の根の広がりに支えられ、そのうえで専門性、情報性、独自性といった特質をもつに至った。
「アメリカでは、政府でも企業でもない非営利セクターが確固たる分野を形成していて、その数は全米で一〇〇を越える。大学、病院、教会、環境保護団体、小規模な住民団体までNPOで働く職員の数は、連邦政府と州職員を足した合計よりも多く、事業規模はGNPの七%、計算の方法によっては一五%にもなるというのだ」(『共生の大地』 内藤克人)。
NPOが社会的に影響力を拡大したことで、どのような効用が生み出されたのだろうか。
「市民活動が自由に組織されてそれが分権的に多様な公共サービスを提供すれば、中央の代議制と官僚制は必要性が少なくなる」。
「ここでは市民は…直接に〝公共〟に参加する。必要と思う〝公共〟活動を直接に組織する。…多数決によって少数派が封じられない。社会には多様な価値観と活動が保障、促進される」(同)。つまり市民参加、情報化、分権化をキーワードとする公正的正義が生み出されたというわけだ。
以上を述べただけでは、アメリカを美化しすぎているとの批判を免れないだろう。またNGOやNPO一般が「理想的」な存在などということもあり得ない。組織の巨大化とともに官僚的腐敗や予算消化の方法など、それにはたくさんの問題点が指摘されている。アメリカの環境NGOなどの運動の行き詰まりも様々な場面で指摘されている。ただ私たちとしては、次に見ていくようなハーバーマス的視点において、二〇世紀の物質文明を越えていくひとつの方途をここに見いだすことも可能ではないかと問いたいのである。
日本型公共性の構造転換を
ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』(未来社)は、一九六二年の発表以来「公共性」という概念が政治学、社会学で独特の意味が与えられることになったほどの古典的著作である。ここで問題にしたいのは、一九九○年にこの本の新版を発行する際、ハーバーマスが新しい序論を書き加えたことである。いうまでもなく、八九年のヨーロッパの変革(ハーバーマスのことばで言えば「国家社会主義の崩壊」)を経て、それは加えられた。
ハーバーマスは、ルソーの「一般意志」を「非公共的な意見を根拠にするルソーの民主主義は、結局のところ、世論操作的な実力行使を必要とする」とこの本のなかで批判する。何が真理であるのかを決めるのは、論議する者の間で形成される公共的コンセンサス以外ではない。しかし、そこで「論議」するものと想定されていたのは、旧版では「民主化された団体や政党」に限られていた。これにたいして、ハーバーマスは新版序論で次のような追加をおこなうのである。
「《市民社会》の制度的な核心をなすのは、自由な意志にもとづく非国家的・非経済的な結合関係である。もっぱら順不同にいくつかの例を挙げれば、教会、文化的なサークル、学術団体をはじめとして、独立したメディア、スポーツ団体、レクリェーション団体、弁論クラブ、市民フォーラム、市民運動があり、さらに同業組合、政党、労働組合、オールタナティブな施設にまで及ぶ」。
「問題となっているのは意思形成をおこなう結社(アソシエーション)である」。それは「ジャーナリズムの影響力を通じて政治的な効果をもたらす」。それは公共的コミュニケーションに「直接参加」し、「活動を計画し実例をもって討論に寄与」するというのである。
非国家的、非経済的な結合関係を持つ結社が、公共的コミュニケーションに直接参加するというハーバーマスの想定は、NGO/NPOと呼ばれる社会運動の今日的状況と大きく変わるものではない。この点について、そう異論はないはずだ。また、現在の私たちの運動に引きつけてみても、私たちのいう「知的共同体」に連なるものであるとみることもできるだろう。
さて、以上にふまえて、NPOをめぐる議論に立ち戻ることにしよう。
「市場の欠陥」を管理的な国家行政のシステムで越えていこうとする福祉国家社会にあって、これまでの私たちは、福祉行政のクライアントとして、受給者的存在であったということができる。そこで私たちは、「公益」の義務を負うのは行政、すなわち権力の領域であり、納税という義務を果たしている限り、自己の権利を主張すれば事足りると考えていた。
ところがいまや福祉行政の決定的後退、さらには高齢化社会の到来や、環境的に循環型でしか成立しない都市生活の時代を迎えて、市民生活の存続すらが脅かされるにいたっている。かくして私たちは、官僚腐敗の追及、福祉後退への論難、給付行政の実現を求めるだけではもはや不十分な時代にたち至っているともいえるのである。
阪神大震災などの経験知を越える災害は、被災地で無力化した行政の限界を何よりも明らかにした。この限界を突破したのは住民の自主的な活動であり、相互扶助や自治活動の展開である。
沖縄・名護市の住民投票のごとく、地域的な課題を住民の意思で決定するという分権化の進展も各地で見られる。加えていえば、福祉行政の後退のなかで、相互幇助や共済を旨とする生活ホームづくりや、ワーカーズ・コレクティブなどの試みも頻繁に生まれている。
それらのひとつひとつは、任意の市民団体にすぎないが、こうした任意の団体相互に成立する議論のもとではじめて「公共性」は存立する。そこでのコンセンサス形成が事態を初めて解決しうるのである。
旧来の日本的給付行政のもとで、あらかじめ公共的な団体として認知されていたのは、たとえば町会、自治会といった地縁的住民組織である。これらは形骸化し公共的性格はほとんど喪失している。ただ、これらは給付行政にとっての下請け的利用の対象でもあったのであり、そこでの行政的な慣習はNPO法などの法案形成に顕在化しているといえよう。しかし、そうした「行政権力や貨幣」といった権力の制動をつきやぶる、新しい社会運動の可能性を、この先に見いだしていきたい。
解説・NPO法の内容
与党法案である「市民活動促進法案」の第一条からその内容を確認しておこう。
「この法律は、市民活動をおこなう団体に法人格を付与することなどにより、ボランティア活動をはじめとする市民に開かれた自由な社会貢献活動としての市民活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを目的とする。」
では「市民活動」とは何か。この法律では別表を設けて「市民活動」を一二項目に分けている。
そこでいわれている市民活動とは次のことを指す。
①保険福祉の増進を図る活動、②社会教育の推進を図る活動、③まちづくりの推進を図る活動、④文化、芸術またはスポーツの振興を図る活動、⑤地球環境の保全を図る活動、⑥災害時の救援の活動、⑦地域安全活動、⑧人権の擁護または平和の推進を図る活動、⑨国際協力の活動、⑩男女共同参画社会の形成の促進を図る活動、⑪子どもの健全育成を図る活動、⑫以上の団体の活動の連絡、助言、援助の活動というものだ。
2006年09月05日
4日、本会議で総括質疑が行われた。
総括質疑というのは、議会に執行部から提案された議案について、会派の代表が質疑をするというものである。
今回は17年度決算認定のほか、補正予算案などが議案となっていたが、17年度後期の決算項目に大井プールの委託料が含まれていたため、大井プール事故も大きな争点となった。
ただし自民クラブは会派代表で質問する神木洋寿氏が監査委員であるため、決算議案に触れることが出来ず、共産党、公明党、民主党市民クラブはそれぞれプール事故に言及するというものになった。
わたしの前に同会派の大石議員が、犠牲となった戸丸瑛梨香さんへの追悼の意思を表したのを受けて、わたしの質問は、『議会や議員にも事故への責任があるという観点に立って改めて、市長、教育長、契約担当部局の責任とは何か』、について論じることになった。詳しい内容については、後日、報告をまとめていきたいと思う。
また森ダム基金の廃止に触れて、水源を保全しようという目的の同基金は、ふじみ野市における地下水や、涵養樹林の保全ということでつながるのではないかと質問したところ、島田市長は、環境一般というよりは自然の営みを保全するという目的に流用できるようにしたいと述べた。
2006年09月01日
テレビなど報道関係者も来ていたので、ご存知の方も多いかと思うが、31日9月定例議会が開会となった。冒頭、プール事故で亡くなられた戸丸瑛梨香さんを追悼する一分間の黙祷が行われ、市長あいさつのほか、議員提案による特別決議が、全会一致で行われた。
私自身は、4日に行われる総括質疑の機会に、プール事故について諮問を行う予定である。
特別決議全文は以下(続き)に掲載する。
なお、議会に先立って、先に与党3派が提出した要望書に対して回答が寄せられたので、資料的な意味からも、ここに掲載しておきたい。
大井プール事故に対する徹底した事故原因の究明と再発防止を求める決議
去る7月31日ふじみ野市大井プールにおいて、流れるプールの吸水口に吸い込まれ幼い尊い命が失われるという悲惨な事故が発生した。亡くなられた戸丸瑛梨香さんのご冥福をお祈りするとともにご遺族の方々に深く哀悼の意を表すものです。
市営プールという公共施設は、幼児から大人まで年齢や性別にかかわりなく、不特定多数の方々が夏のひと時を楽しく過ごすレジャー施設である。それゆえ利用者には一にも二にも高い規範に基づいて、安全確保がされている施設であるという深い信頼の上に安心して利用しているものである。
しかしながら、今回の事故はこれら利用者の思いを裏切り、尊い人命が失われたという絶対にあってはならない事故であり、議会としても極めて心痛な思いである。市民に対し公共施設の安全・安心といった信頼性を根底から失墜させた極めて残念な事故であると重く受け止めている。何故このような事故が発生したのか、市は施設の構造、管理体制などあらゆる角度から事故原因を徹底的に究明し、早期に明らかにすべきである。そして、幼い尊い命が失われた事故の教訓を生かし、二度とこのような痛ましい事故が起きないよう再発防止に向けて、全市を挙げて取り組むよう強く要望する。
併せて、市内全ての公共施設の安全管理体制の強化を含めた安全確認の総点検と全職員の危機管理意識の高揚を求めるものである。
以上、決議する。
平成18年8月31日
ふじみ野市議会
市内の公共施設の総点検と安全対策を行うことを求める
要望書に対する回答
1 全ての公共施設における安全確認の総点検
(回答)
8月1日に幹部会議を開き、全公共施設等の安全点検の実施を指示し、点検の結果は次のとおりです。
(1)修繕が必要な施設は、307施設
なお、施設数には、防災用井戸(11)、防災無線パンザマスト(55)、市道(1603=約258km)、照明灯(121
3)、反射鏡(1496)、防犯灯(4923)は点検しましたが、施設数には含まれていません。
(2)点検の際、応急対応及び仮対応を実施した施設が52施設
(3)今後、修繕が必要な施設を緊急度に応じランク付けをした結果、「早急に対応が必要」Aランクは、44施設
2 危険箇所改善のため最優先の予算措置
(回答)
安全点検の結果を踏まえて、対応が必要なもののうち、可能なものは、直ちに改善し、あるいは応急に手当てをし、予算措置を経て処置する必要があるものは、今議会において追加で補正予算のご審議をお願いし、改善していきたいと考えています。
3 職員に対する危機管理体制の強化
(回答)
今回の事故の教訓を生かす上で、各職場で職員参加を基本に、通常業務や委託業務を検証し、全国の事故等の先例も十分考慮しながら、そこに内在する危険や事故を洗い出し、その対応を検討し、事故対応マニュアルなどの作成をしていくことで、人命を預かる仕事をしているという自覚を再認識させるよう、職員の意識啓発を図ります。その結果として、業務委託の仕様書や契約書のチェックやきめ細かな危機管理対応が可能になると考えています。
4 業務委託業者(指定管理含む)の実態把握
全業務委託について、契約書や仕様書に基づく履行把握や下請けの有無などを所管課で確認しております。
5 各施設の安全管理体制の明確化
契約や協定書の中に市と業務委託者等の業務の役割を明確化し、業務内容の点検をマニュアル化するなどし、安全管理体制を強化に努めていきます。
また、業務委託の契約事務においても、価格以外の多様な要素をも考慮し、価格と品質が総合的に優れた内容の契約がなされるよう努めていきたいと考えています。
以上