2006年01月01日
くぬぎ山から、ダイオキシン汚染を考える
![]() 埼玉県所沢市からの報告1 |
| いま世界中で、さまざまな環境汚染が進行している。ここでとりあげるダイオキシンによる環境汚染も、その一つだ。 ベトナム戦争や農薬汚染で環境のみならず、多くの人命を奪ってきた猛毒物質ダイオキシン。ここ日本でも産業廃棄物処理施設から排出されるばい煙による被害は拡大しており、地域住民が体の不調を訴えだした。産業廃棄物の集中する埼玉県所沢市では、ついにダイオキシンを規制する全国初の条例案を市議会で可決。環境庁も法的に規制する方針を固めたと伝えられている。 |
| ダイオキシン汚染の実態に迫ってみた |
| 埼玉県所沢市、三芳町、川越市、大井町、狭山市がちょうど交差する通称「くぬぎ山」と呼ばれる地域がある。 武蔵野の面影を残したこの林の中に、産業廃棄物の処理施設が急増しはじめたのは九〇年頃からである。異変に気づいた住民が再三にわたって業者と行政に改良を求めたが、まったく聞き入れられず、逆に施設はどんどん増え続けた。やむなく住民は独自に周辺土壌を調査するが、その結果全国で類例をみない高濃度のダイオキシン汚染が明らかになったのである。 産廃施設の急増している地域は、私の住む地域から五キロほど離れており、自分の身の安全にもかかわるものだなどとは想像していなかった。せいぜい「オオタカの森」である雑木林を産廃施設から守ろうというのが、当時の私の問題意識である。そもそも、ダイオキシンの汚染濃度のng(ナノグラム=一〇億分の一グラム)とか、pg(ピコグラム=一兆分の一グラム)という単位は容易に実感できるものではないし、「人類最強の猛毒=ダイオキシン」による「ベトナム並の汚染」などの言葉は、近くにいればなおさら生活実感にそぐわないと感じていたのである。 だが昨年夏頃から、事態の重大さが私たちの周囲にもどんどん伝わってきた。異臭がする、ゴミの山がまた大きくなっている、黒い煙が見えた等々。林からたち上る黒煙がいったん上空に舞い上がると、大きな黒い雲のようになって風に流され、周辺の地域に落ちていく。 黒煙を追跡した人からは、みずほ台駅の周辺に落ちたのを目撃したと伝えられた。風向次第で処理施設密集地から四キロ離れた所沢航空公園周辺に降り注ぐことが多いらしく、所沢の小学校では「児童を航空公園で遊ばせないように」と通知したという。何かただならぬ問題が進行していることを捉えないわけにはいかなくなったのである。 |
| 汚染は全県、全国に拡がっていた |
| 「くぬぎ山」周辺の住民から要請を受けて、調査をおこなった摂南大学の宮田教授が正式にデーターを公表したのは九五年一二月。それから半年以上たって、埼玉県が重い腰を上げて調査に乗り出し、今年、三月一三日に公式の調査結果を公表した。 発表された数値は先の住民調査に比べてはるかに「低」レベルのものだが、それでも周辺市町村の小学校や保育園を含む土壌から一〇〇~一三〇pgという高濃度のダイオキシン汚染が検出された。そればかりか汚染がすすんでいない地点のデーター比較のために採取した浦和市の県庁敷地内で、なんと四二pgの汚染が検出されたのである。はからずも、汚染はすでに全県的なレベルに広がっていることが明らかになり、埼玉県は全県で汚染調査を実施せざるを得なくなった。 つけ加えれば、昨年全国レベルで実施された一八〇〇カ所のゴミ処理施設(一般廃棄物=家庭からの生活ゴミ)の排煙に含まれるダイオキシン調査で、厚生省が定めた「暫定基準」の一立方メートル中八〇ngを越えた施設が三月以降相次いで公表された。埼玉県でワーストワンの朝霞市の施設のひとつは二七〇ngを越えていることが明らかになり、この施設は七月までに廃止することが決まった。ただこのデーター開示をみて驚くべきなのは、ゴミ処理場の排出規制値をヨーロッパ並に〇・一ngに合わせるとすると、現存の焼却施設の大部分が廃棄される以外ないことだ。厚生省の「暫定基準」、つまり努力目標みたいなものが、ヨーロッパでの規制値と八〇〇倍も違うのである。なんだか頭がくらくらしそうな格差があるではないか。 ダイオキシンについての説明は片山さんの論文を読んでいただくとして、押さえておきたいのは、日本は随一のダイオキシン汚染国だということである。日本人の母乳に含まれているダイオキシン濃度も、主に近郊の魚類など食物から摂取されるダイオキシン量も国際比較では軒並みトップクラスである。枯れ葉剤などで大打撃を受け、「奇形児出産」などが今でも続いているベトナムの汚染値を、すでに日本は越えたという報告もあるほどなのだ。 ダイオキシンによる被害が国内で発生したのは「カネミ油症」(一九六八年)事件が有名だが、この場合もPCBのみが原因物質とされており、被害者の体内からダイオキシン類が検出され原因物質の疑いがもたれたのは事件発生から二〇年近くたってからである。この他に因果関係が立証された事件はなく、厚生省は「清掃工場からのダイオキシンは人体に影響しない」(一九八七年)という態度を原則的には今もって変えていない。ダイオキシンの研究者にとっても、七五種類もあるダイオキシン類の具体的な人体への影響の度合いは、十分に分かっているわけではないようだ。 それでも欧米諸国でダイオキシンにたいするきめ細かな規制が加えられているのに比べ、これより八〇〇倍も甘い日本の厚生官僚を信用する人はいないだろう。もしかしたら、私たちはすさまじい被害の現出する直前にいるのかも知れないし、胎盤通過性があり、人間の体内に蓄積しつづけるダイオキシンは、次世代にこそもっとも大きな影響を与えるかも知れない。 さて、では仮にそうだとして、ゴミ焼却炉の大部分を止めなければならなくなるような政策転換を私たちはなしうるのだろうか、ということを考えてみよう。 埼玉県だけでも自治体のゴミ焼却場は六六カ所、産廃処理場は一七九、このほか病院や学校、工場などの焼却施設は数え切れないほどある。一般ゴミだけで年間二二〇万トンが焼却される。このゴミをどうするのかという問題抜きに、事態は語れないというのも正論だが、一方で、リサイクルやゴミ減量などの個人レベルの問題ではないことも確認しておくべきだろう。 「ゴミが増え続けている現状で、炉を止めたら、街にゴミがあふれる。現在の処理方式を変えることなどできっこない」「産廃業者は委託業者にすぎず、コスト削減を企業に迫られればコストのかかる処理はやりきれない」というのは、ゴミ行政を担当している側の一致した見解だ。 加えていえば、日本の産業構造は、海外からの資源の大量輸入と、国内での大量廃棄が可能であることによって成立する。大量廃棄を可能ならしめているゴミの焼却と埋め立て、そこから派生するダイオキシン問題を解決するためには、産業構造の変革は不可欠だ。 ダイオキシン汚染は、現状では、将来健康被害をもたらすかも知れないといった蓋然的な予測、次世代への悪影響がもっとも懸念されるという世代間倫理の問題をはらむ。そうしたダイオキシン規制の必要性から、はたして私たちは日本の産業構造を改革するような「解決」へ向かいうるのかが今問われているのだ。 この問題を考えていくために、もう一度、くぬぎ山に視点を移していこう。 |
| まるで死の森だ |
| 産廃施設は、くぬぎ山周辺、十×五キロ程度の範囲に、現在三六業者が四八の炉を稼働して密集している。 所沢インターの周辺が密集地の東側のはずれにあたるが、このあたりは道路に面しているので施設を見た人も多いだろう。ところがくぬぎ山周辺となると、深い森におおわれてほとんど目につかない場所なのだ。 じつはこの地は、武蔵野に残された最後の雑木林で、都市近郊地としては秘境といえるほどに自然環境の残された森である。産廃施設が乱立する以前の雑木林の姿を知る周辺の住民にとって、現状は耐え難いほどの破壊に映る。実際そういう場所に限ってゴミ処理場がつくられていくというのも、全国に共通する問題であるのだが。 くぬぎ山周辺の森に入っていくと、雑木林を代表する赤松が立ち枯れて無惨にも地肌をさらしているのがわかる。かつては、むせかえるような苔におおわれていた雑木林の中は、降り注ぐ焼却灰で白く濁っている。たくさんいたはずの小動物や野鳥の姿は、いまではすっかりみられなくなってしまった。わずかにヒヨドリの鳴き声がひびき、目に付くのはカラスばかりだ。 煙を吐いている炉の回りでは、樹木が施設の回りを囲むように立ち枯れている。枯れて根元から折れてしまった倒木が林の中に広範囲に散乱している。立ち枯れの原因は、排煙中の塩化水素が主因らしいが、それこそ未処理の物質が放出されている証明にほかならない。処理施設で燃やされているのは、首都圏の建築廃材が大部分だ。建築材は新建材や塩化ビニールなどを多用するが、それらは渾然と積み上げられ、次々と炉に投げ込まれる。また、施設の周辺では野焼きが炎をあげる。すでに焼かれた後の真っ黒でどろどろした灰もショベルカーがこねくり回している。 「ゴミを燃やすということは、様々な分解反応、合成反応が同時にすすみ、何百、何千もの物質をつくり出すことなんです。ダイオキシン以外にどんな毒性物があるかわからない。それらを全部調べるのは不可能です」と、摂南大学教授の宮田教授はいう。ダイオキシンの問題というのは、焼却の過程で生成するダイオキシン類を含め、重金属や化学物質を大量に混入する現在のゴミ焼却の危険性を象徴しているのだと捉えると、恐ろしく納得のいく話になる。 私たちが見ている間にも炉は周期的に緑色の混じった黒煙を吹き上げ、異様な刺激臭をまき散らす。カメラを向けていると、管理者らしい人物が飛んできて「写真を撮るな!」と私たちを威嚇した。トラックの出入り用に開けられていた炉の見える位置にあったシャッターがただちに降ろされた。そこには「ゴミを減らして、リサイクル社会を」と書かれていた。 シャッターの前でこちらを見ていたのはアラブ系の男性。ここで働いている人の大半は外国人で、多くが住み込みだという。健康被害も相当に深刻だろう。 このようにして操業されている産廃施設が昼夜わかたず稼働しつづけ、主に東京都などから流入する年間二四〇万トン(全国平均でダントツ一位!)あまりの産業廃棄物の大部分を焼却処理しているのだ。すでに広範囲に汚染がひろがっている可能性が大きい。オオタカが脳挫傷で死んだという新聞記事もあった。水俣ではまず猫がいなくなり、ついでカラスが落ちて、次に人が発病した。事態を放置すれば、早晩、影響は周辺住民の深刻な健康被害となって現れるのは避けられないという感じがする。近隣に住む私たちも無縁だとは言い切れない。そして、それはそのまま「第二の水俣」への道かも知れないのだ。 埼玉県の公式の調査で、一〇〇~一三〇pg/g(ピコグラム=一兆分の一グラム)のダイオキシンが小学校や保育園から検出されていることはすでに述べたが、一〇〇pg/gはドイツの基準では小児の土壌接触を防止し、土壌の入れ替えをおこなわなければならない汚染水準である。そこで遊んでいる子どもたちの健康に万が一にも弊害が表れたら、いったいだれが責任をとるのか。もっとも、先の住民調査で、施設密集地の「くぬぎ山」の雑木林の土壌は、この五倍~七倍の汚染濃度を示しているのだから、事態の深刻さは尋常ではない。 |
| ダイオキシンを止められるか |
| 「止めようダイオキシン埼玉ネットワーク」(依田彦三郎代表)は三月一三日、くぬぎ山周辺の自治体で、産廃施設が乱立してきた時期と同じくして新生児(生後四週間未満)の死亡率が、県平均を一・四倍から一・七倍上回っているという調査結果を明らかにした。合わせて「ダイオキシンの影響を疑わざるを得ない」という専門家の声も紹介された。 ダイオキシン影響調査は、全国で様々に実施されている。 茨城県新利根村では、一九七一年に操業を開始した焼却施設の周囲一キロ以内と圏外の癌による死亡率の比較がおこなわれたが、操業から二〇年を経過して以降、一キロ圏内では癌で死亡するのが五〇%に上ったのに対し、圏外では一八%という数値の違いが表れた(『AERA』九六年四月二二日号)。癌死亡率の全国平均は二八%だから、五〇%がいかに高い数値かは分かるだろう。日の出町の第一処分場周辺、杉並区の焼却施設周辺でも同様の調査は実施され、施設との距離と年間の風向きに比例して、癌死亡率や新生児死亡が多いという同じような結果が表れているのである。 これらを取り上げて確認したいのは、ダイオキシン被害の恐ろしさ一般ではない。焼却施設がもたらすかも知れない健康被害を察知し、国際的なレベルでの情報を取り入れ、住民自らが自らの生活の質を自衛しようとしていることだ。そういう意味での実質的な対話が積み重ねられ、そのうえで人々は環境政策にコミットしている。くぬぎ山周辺の住民の間ではこうしてダイオキシン問題に関与しようとする動きは急速に拡がり、厚生省や、県の動きを規定しつつある。 くぬぎ山に隣接する三芳町では、三月一三日に「埼玉ネットワーク」委員長の依田彦三郎さんの講演会が開かれ、依田さんは新生児死亡の実態報告を交えて、産廃施設の規制、撤廃の必要を訴えた。 講演会は三芳町では異例ともいえる三桁を越える参加者があふれ、また町長以下、議員や町の幹部も多数参加して熱気に満ちた集会になった。集会では依田さんの説得力ある提起に皆納得した様子だったが、その後、町当局は何の対策も講じることなく、住民から出されたダイオキシン規制を求める請願すら却下した。石坂産業など産廃の有力な資本が影響力をふるうこの町では、未だその意向を尊重する以外なかったのだろう。 だが、これとは対極的に、所沢では市議会がダイオキシンにたいする規制条例を全国に先駆けて決議し、合わせて学校での焼却施設の使用中止をも決定するということもおこなわれている。自治体が住民の健康を考慮して独自の規制をおこなうのはまったくノーマルなことだと思うが、国の規制基準がないままで自治体が独自に規制を打ち出すのは極めて異例という。 こうした事例をみると、産業構造に規定された行政的な「ゴミ処理」システムに、旧来の被害報償や地域エゴとは異質な、自らの健康と次世代の安全という別のパラダイムから人々が抵抗を試みている構造が浮かび上がる。植民地化された生活世界から、連帯という社会的統合の力が、「貨幣と行政権力」といったメディアとの接点でせめぎ合い、自らの要求を貫徹しようとするのだというハーバーマスの言葉が妙にぴったりくるようだ。 富の分配といった功利主義的な土俵では、国家的な基準が明確でないダイオキシンに規制を加えるために経済合理性を台無しにする企ては、とうてい勝ち目のない議論だろう。 しかし、人々の間に急速に拡がっている公害や健康不安に対する対処を優先しなければならない事情の方が、いまやゴミ処理の既定的なあり方を墨守しようとする勢力を次第に上回っていくようにみえる。同じ問題は、動燃の度重なる事故と、事故隠しのスキャンダルによって原子力政策にも生じている。この延長に、産業構造の転換をもかちとる契機があるのではないかとさえ私には思えるのだが、それは楽観的すぎるだろうか。 |

