≪ 上福岡市の水の話(シリーズ第1回) |
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| 上福岡市の水の話(シリーズ第3回) ≫

~上福岡の水の話(シリーズ第2回)~
岩木英二と上福岡市民連合NO.75に掲載
1994.6.25 |
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三月、水道水に異臭が発生
市民連合に市民から通報
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「上福岡の水の話」第一回を載せた当紙前号の発行後、私たち市民連合には水にまつわる様々な意見、報告がたくさん寄せられた。その中から今回は大原に住むKさん(男性)からの電話を紹介しておきたい。
それは次ぎのような内容だった。
「三月十日前後、水道水に異臭がするようになり、それが三日ほど続いた。とても飲めない状態だったので市の水道課に問い合わせたが、当初は要領の得ない返答しかもらえなかった。その後、同じ訴えが何件かあり、どうやらそれは大久保浄水場の電気事故によるものらしいと水道課から説明をうけた。真偽のほどを確かめてくれないか。」
そこでさっそく (といっても四月中旬なのだが)大久保浄水場に出向いたついでにこの問題について聞いてみることにした。
「この近代的管理の行き届いた浄水場で電気事故なんて・・・。」
最初に質問を受けつけてくれた担当官は訝しげな様子だったが、水質を受け持つ担当の技術者がでてきて事態について説明をしてくれた。
「たしかに三月は二回ほど停電事故が発生しました。そのため配水が一時ストップし、配水管中のスラッジ(水垢)が流れたと思われます。水道水の異臭はそのためのもので危険性はありません。」
正直なところ、私たちの仲間で三月十日前後の水道水の異変に気づいた人はいなかったし、また大原の人からの訴えしか聞いていないので、もっと小さな範囲での事故かなとも思っていた。ところが実際の事故の影響は、大久保浄水場の配水域全体(なんと埼玉県内十九の自治体)にもおよぶものだった。
浄水場では「危険性はない」というが、Kさんは「飲めない状態」といっている。
サンプルを採取していたわけではないので、その「安全」の度合いを今では確かめようがないが、巨大設備のもたらす事故の恐ろしさを感じないわけにはいかない。
「人の生命にかかわる問題でしょう。事故に対する防災システムはどうなっているのでしょう。市民への通報義務みたいなものはないのでしょうか。いったいだれが安全を保証するのでしょう。」
Kさんはこのように憤っていた。Kさんとは電話のやり取りだけだったが、このことばは今でも耳に残っている。
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大久保浄水場ではいつでも見学を受け付けている
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上福岡市の水道水
ドイツの基準値を上回る |
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あんまり重箱の隅をつつくようなことは言いたくないのだが、一方的に「安全」が強調されているので、少しは文句を付けておくべきだと思う。もちろんそれは、飲み水の安全のために努力されている市の水道部を揶揄したいからではない。その水を飲んでいる多くの人に関心を失って欲しくないからである。
四月一日発行の市報「かみふくおか」に新水質基準による二月九日の水質検査報告が公表され「すべて水質基準値内」で「安全でキレイな水」とある。市報に載っていたのは、第七児童館外水道の水質検査結果であると思われるが、この検査の一年分の記録(九三年五月から今年三月まで)を岩木議員に調査していただき、いろいろなことが明らかになった。
ここではとくに、新水質基準内で問題となる発癌性物質トリハロメタンの検査についてふれておきたい。その検査記録は六回あるのだが、その内市報に載った検査結果では総トリハロメタンは0.0167mg/リットル という数値になっている。じつはこれは六回の検査のうち、低い方から二番目である。これだけでも、市報をつくったひとはズルイと思う。それに対していちばん多いときは、九三年九月十三日の検査で0.029mg/リットル、次が0.0247mg/リットル となっている。
日本の新水質基準では総トリハロメタンの規制値は0.1mg/リットル 以下だから、その意味では何ら問題がないと言えるのだが、この基準設定には専門家から様々な疑問が指摘されている。たとえば、ドイツの総トリハロメタンの規制値は0.025mg/リットルである。だから、私たちの飲んでいる上福岡の水道水は、昨年九月十三日にドイツの規制値を上回り、今年三月の場合でギリギリの数値となっていることになる。ドイツ人と日本人では発癌率が四倍も。とかをこれを決めたお役人に聞いてみたくなるが、そんな不毛な論争はここでは無用だろう。私たちの飲む側にとって、余計な化学物質は少ない方がいいに決まっている。
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「水からの速達」上映実主催のシンポジウム
50余の市民が熱い討論をおこなった
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「安全」を踏みにじるゼネコン
5・28シンポの意味したもの
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さて細かい数字でうんざりしましたか。飲み水は百%「安全」ではないということ、規制基準そのものにも問題があるということは、ここからも明らかだろう。また情報を独占した一部の「専門家」や行政に「安全」をお任せしても、当局者にとって都合のいい情報操作しか期待できないのが現実ではないだろうか。
ではどうするのか。家庭用浄水器などによる自衛もいいだろうが、やはり私たちが監視の目を緩めないことが肝心ではないのか、と思う。
消費者運動での添加物の問題や、原発なども同じかもしれないが、特に水道は、巨大ダムにはじまり、浄水場や、延びきった配水管、さらに末端の水道設備や公共下水に至るまで、すべからくゼネコンと政治家の利権、汚職にまみれていて、「安全」などというと、そこから巨大な圧力がつぶしにかかるようになっている。それを利用する人の健康や命などそっちのけで、利益を追求する、利権に群がる、そういう構造がつくられている。
わたしたちの街に水を供することを名目のひとつにして、荒川水域に幾つものダムが計画され(そしてかけがえのない自然をつぶし)、かつ、それが土曜会談合の舞台になったのは、その典型的実例である。この人たちにとって大切なのは「もうけ話」であって、明らかに飲み水の「安全」などではない。いまこうした構造を突き崩していくためにも、私たちが声を上げていくことは大切なのだ。
そのような試みの一つとして、本紙面にも、参加した仲間の感想文を寄せていただいたが、五月二十八日の「水からの速達」上映ならびに「上福岡の川、水、ゴミ」と題したシンポジウム(主催、同実行委員会)は大きな成功だった。「水からの速達」に映し出された、巨大最終処分場の建設に抵抗する日の出町の人々の奮闘は、わたしたちの思いに通じるものがあった。また市内で様々に消費者運動や環境問題に取り組んでいる場を持ったことの意味は大きいと思う。こうした試みを続けながら、他ならぬ私たちの水への、私たちの関心を高めていこう。
(シリーズ第三回「地下水の可能性」につづく)
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