2006年01月01日

白神山地

白神山地へ

鈴木 啓太郎


 広大なブナの原生林で世界遺産にまで登録された白神山地には、その中心を流れる赤石川と、追良瀬川という二つの大きな清流がある。

 私はこの夏、追良瀬川を旅をすることができた。わずか三日間、行程19キロ、標高差900?。の旅だったが、ダブついた腹まわりが気になる中年オヤジには、久々に充実した時間だった。



7月16日 
  朝8時30分に、自宅の電話が鳴った。

 「もしもし、鈴木啓太郎さんですね・・」。やや訛のある声が電話口でひびく。「深浦の森林管理センターですが・・」えっ、なんだ?とまどうまもなく事務的なことばがつづいた。「入山許可については平成16年より申請のみで、許可証は発行しませんので・・」そうだった。そんな話も聞いていた。迂闊にも私は往復はがきで白神山地への入山許可証を求める手続きをとってしまっていたのだ。

 相手の声は質問に変わる。「こちらははじめてですか?」「はい」。「標識等は一切ありませんがご承知ですか?」「はい」。「登山の経験はお持ちですね?」「まあ、それなりに」。「現地の天候は雨です。では気をつけて」。電話の内容はそれだけだった。

 かの入山許可書には焚き火禁止だのイワナを捕るなだのと書いてあってすこぶる評判が悪いのだが、幸いそんなことに彼はふれず、私の気分を害することもなかった。

 電話を終えてふとわれに返って、「体力には自信がありますね?」と聴かれていたら、なんと答えたのだろうということがアタマをめぐった。川をめぐる旅にそれほどの不安はない。知識や経験は充分にあるつもりだ。問題はただひとつ。それは体力である。三日分の食料と装備を背負って、この渓を歩き通すことがいまの自分にできるのだろうか。

 10年前ならいざ知らず、近頃の体力の衰えは否めない。もちろん日々のトレーニングなんてなにもやっていない。したがって体重だけはどんどん増えた。だぶついた身体に腹まわりの脂肪がずしりと重い。脚力もよわくなった。なにより視力が落ちた。普段かけている遠近両用のめがねでは、石から石へ渡り歩くのがおっくうになる。昼でも暗がりに入ったり、夕闇で光が落ちるとよくコケる。距離がうまくつかめないのである。こればかりは経験しないと分からない。老いてくると、私も若いときには想像がつかないことが起きるのである。

 白神にいくということが決まってから、密かに私は追良瀬川下流でアユを釣ることを考えていたのだ。どちらかといえばアユで有名なのは赤石川で、「金アユ」と呼ばれて珍重されているが、赤石川にダムができて、白神周辺の伐採があって、水質はがくんと落ちた。当然アユの質も落ちた。ところが追良瀬川は河口付近の集落以降人家がなく、大きなダムもない。マニアの間では「プラチナアユ」といって近年の注目株なのである。ところが問い合わせると、今年はアユの遡上が少なく、時期的にも早過ぎるという。いまきてもムダですよ、と観光担当の職員は素っ気ない。アユを釣るならさほどの体力はいらないが、釣れないと分かっていていくのもばかげている。

 そうかそれならば、白神コアエリアへの遡行をめざすしかないか、と気持ちを切り替えた。K君に電話して同行を頼むと「まあいいよ」という返事である。「行って損になる場所じゃないよ、保障するから」。説得したつもりで大急ぎで2人の入山申請を書き、速達で発送した。しかし前々日になってK君は仕事だからやっぱりいけないという。あちこち電話したが、だれもいっしょには行きそうにない。まいいか、またもや単独行だ。

 装備を極限まで軽量化し、食料も米とそばを主食に最小限に絞る。河原の歩きが中心となるので池袋の秀山荘で新品の渓流ブーツを買い、テント代わりにするモンベルのツエルト用フライシート、それからエアマットも新調して準備を整えたのである。不足したのは、2万5千分の一の地形図が全コース分手に入らなかったことくらいだろうか。

 かくして私は出発の日を迎えるのだが、白神山地が世界遺産になって、登山者などは立ち入りができないと思っている人も多いようだから、ここで白神山地の自然保護運動の経緯について若干ふれておこう。

 白神山地を縦断する青秋林道(全長29,6キロ、32億円)が、反対運動に寄って行き詰まりを見せた1989年、林野庁はこの地を新たにもうけた「森林生態系保護地域」と指定した。翌年青秋林道の建設予定線をふくむ中心部が原則として人の手を加えない「保存地区」となったため、林道計画は正式に中止が決まった。

 この森林生態系保護地区はユネスコの提唱するMAB(Man and Biosphere)の考え方が参考にされたという。MABでは厳正に保存されるべき「核心地域」のまわりに「緩衝地域」をおき、第一次参業の利用はこのまわりで行うというものである。白神は93年12月に世界遺産登録が認められるが、森林生態系保護地域の範囲がほとんどそのまま世界遺産地域となり、核心地域、緩衝地域も踏襲されることになる。

 詳しくは述べないが、この森林生態系保護地域指定は、それまで林道建設や原生林伐採を繰り返してきた林野庁が180度転換して、生態系保全を名目に「原則入山禁止」という処置にふみきるお題目となった。自然保護を訴えてきた運動の中には、行政側の恫喝との受けとめもあるほどだ。自然を保護せよというのなら認めよう、その代わり一切の入山を禁止する、というのである。

 世界遺産登録とともに、秋田県側はこの処置を踏襲した。「核心地域」の原則入山禁止である。おかしなことに、特別の許可証をもっていたり、ガイド付きであったり、学術研究との名目がつくものは良しとされる。つまりこういうことだ。行政がこいつは入っていい、こいつは悪いと判断するのである。入山禁止の法的根拠は希薄だから、この分類も恣意的としかいいようがない。

 これに対して青森県側は、入山を許可制にした。「指定27ルート」というあまり登山の実体にそぐわないルートならば、申請すれば許可証を発行していた。平成16年からは、許可証もなくなったのは冒頭紹介したとおりである。

 私が思うに自然保護の混乱に輪をかけたのは、環境NGOなど一部の自然保護団体を自称するものたちが行政のお先棒を担いで「入山禁止」に唱和したことである。これに対して、青秋林道反対運動の中心であった根深誠氏をはじめ地元の登山や沢登り愛好家たちは猛然と反発した。

 人が徒歩で立ち入ることで生態系にいかほどの悪影響があるというのだろう。あまりにも過剰な人員が殺到すれば、規制は必要になるかもしれない。こうした点について、基本的データーを収集したり、全般的な調査ができるのは行政である。情報を公開し、実像を周知して、オーバーユースにいたらない方法を、研究者や利用者の意見を採り入れつつ決めるのが行政の本来の役割ではないのか。

 白神はけして観光地ではない。気軽にこれる場所ではないのだ。観光的施設などつくらずに、既存の林道を封鎖して、徒歩以外に近づく手段をなくしてしまえば、なお効果的なはずである。

 前置きばかり長くて恐縮だが、実は私にはもう一ついいたいことがある。行政側はこの地域での焚き火や動植物の捕獲、端的に言えば山菜やイワナをとることを禁止しているが、私には異論がある。これについてはたぶん議論にもなり、批判を受けることもあるだろう。だが、制限はあり得ても禁止は間違いだというのが私の考えである。焚き火を起こし、山菜やイワナを捕りながら旅をするのは、この地で生きてきたマタギをはじめ、もっとも合理的で野趣あふれる自然の利用法である。私にとっては息子に伝えたい野遊びの第一候補といってもいい。白神は元来、そんな川の旅を愛する人たちの憧憬の地であったのだ。

 だからこそ、というべきだろうか。白神山地は私としてもぜひとも踏破しておかねばならないエリアなのであった。そんなわけで、大急ぎで準備したこの夏の白神山行がはじまったのである。



7月17日

  私の住む埼玉県上福岡市から、高速道路を経て、白神に到着するのにおよそ8時間ほどだったろうか。道が日本海側に近づくと激しい雨が続いていた。

 午前6時に同じ車で交替しながら運転してきてくれた小川夫妻と白神ラインの追良瀬大橋に立つ。しかしここから見える追良瀬川は完全な濁流。泥水が轟々と音を立てている。「こりゃだめだ」あきらめるしかないかなと思いながら、とりあえずこの日白神山に登るという人たちの集合場所までいったん退却する。

 少し雨が小振りになったので、もういちど追良瀬大橋に引き返したのが午前9時半。私には水かさが増しているように見えたが、このまま帰るのもつまらない。暗門の滝方向に行くという小川さんに、行ってムリだと思えたら引き返してくるから、帰りに12時までここで待っていてほしいとお願いして出発することにした。

 堰堤までの林道を歩き、まき道を通って河原に降りると、ごうごうという流れがさらに勢いを増しているようだ。茶色に濁って底が見えない。ここから屈曲点ごとに徒渉をくり返しながら進むのだが、歩き出して1時間半程度の淵で進退が窮まった。渡ろうにもすぐ下の落ち込みに吸い込まれそうで渡れない。辺つりのできる限界まで淵をたどり、泳いで渡るしかないようだ。ザイルの端をリュックに結んで、しばし流れを見る。「これを越えたら帰れないな」。そうおもいつつも思い切り岩を蹴って水流に乗り出す。対岸に泳ぎ渡り、ザイルをたぐってリュックを引き寄せた。思いのほかスイスイといけたので、ここで気持ちもしゃんとした。

 いくつか先の淵で、濁流に立つ私の足元を黒いものがゆっくりと動いた。イワナだ。追良瀬川特有の、白い斑点がくっきりと見えた。つぎの淵では、変なカモが浮きながらこちらを見ている。「これがうわさのシノリガモかな」と思いながら、雨を気にしつつカメラを出して写真を撮る。カモの動きはコミカルだ。距離を詰めるツツっと逃げる。離れるとまたよってくる。じつはこのシノリガモ、本流を遡行中は至る所で見かけた。というより、見られていた。人なつこくずーとついてくる感じがした。

 小さなゴルジュがあって、水量が多くどうにも乗り越せないので、左岸のまき道をたどる。懸垂で水際に降りると、後続の3人パーティーがゴルジュの向こう側に見えた。こんな天気じゃ誰もいないと思っていたが、他人がいたのでなんだかほっとする。

 二の沢が合流する直前に適当な河原があったので、野営の準備をしていると、先を越さ

れたと思っていた3人がやってきた。付近の台地でテントを設営していたのに、私が気づかず追い越してしまっていたようだ。彼らは釣り竿をもってすぐ上の淵に陣取った。このころになるといったん雨も止み濁流も薄らいで、ブルーの色合いが強くなった。その薄らいだ濁りの淵に粘ったまま、3?。以上もの底へ仕掛けを沈め、彼らは次々とイワナを釣り上げる。

 近年の私はテンカラと呼ばれる和式毛針による釣法にこっていて、こちらは歩きながら毛針をふるう。ポイントからポイントへ、水面に落ちる羽虫に飛びつく食い気のある魚だけをかけていくので合理的でスピーディだ。他人の餌釣りを見るのはひさしぶりだったが、こちらものんびりしていいもんだなと感心する。

 それにしてもなんという魚影の濃さよ。きっと多くの人が釣りを試みるだろうテント場の付近で優に尺越えのイワナが次々とかかる。魚影の濃さは、建前上の禁漁のせいではない。やはりイワナは森と水が育てるのだ。

 私もご相伴に預かって、イワナをあぶる焚き火を起こす。

 いつも思うのだが、焚き火は一つの儀式である。流木を集め、適当な大きさに切り分け、小枝から順に火種に添える。いったん燃え上がれば少しの雨なら平気だし、覆いをすれば本降りでもしのげる。つづいて米をとぎ、火にかけて、湯を沸かす。根曲がり竹の串に刺したイワナも程良く仕上がる。ご飯と納豆だけの粗末な食事も、イワナでぐっと豪華になる。ほんとうなら焼き枯らして、イワナ酒といきたいところだが、徹夜で運転してきた今日はもうその元気はないようだ。シュラフカバーに潜り込み、そのまま寝入ってしまう。



7月18日

  夜中に激しく雨が降る。なにか身体に異変を感じて目が覚めるのだが、節々の痛みとともに、猛烈なかゆみとも痛みともつかない感覚がおそってきた。時計を見ると午前2時半である。最初はよく分からないのだが、目覚めてくると異変の正体がはっきりしてきた。顔と手足から猛烈なかゆみを感じるのだ。そんなはずはない。顔は防虫ネットで覆い、シュラフカバーにすっぽりと治まっている。しかし起きて点検してみると、防虫ネットが肌に触れる頬骨の部分がぶっくりと腫れている。手首足首から先の露出部分がやられて腫れ上がっている。

 ヤブ蚊かブユか分からないが、ものすごい攻撃を受けたようだ。きっと防虫ネットのまわりに、つまり私の顔のまわりに、雲霞のごとく群がっていたのだ。そのうちの何匹かが、わずかな隙間からシュラフの中に潜り込んで血を吸ったのだ。なんともおそろしい。それにしても、かゆくて目が覚めるなんて最悪だ。あまりのかゆみにもう寝ることもできない。
 幸い雨も止んだので、焚き火に点火し、お茶を飲んで夜明けをまつ。朝は、夕べの残りご飯でお茶漬けだ。

 タープをたたみパッキングをしても、食われて腫れた手に力が入らない。フェルトの靴下に足をねじ込み、渓流シューズを重ねる。夕べ見たよりは水かさが増した冷たい流れに踏み込むと、腫れた足も少しは気持ちがいい。午前6時少し前によたよたと歩き始める。
 それでも昨日よりは水量が減っているのだろうか、ゴルジュもさしたる困難はない。まき道も快適だ。すぐに落差20?。の滝をかけて五郎三郎の沢が落ちてくる。本流は平坦で平凡だがゆったりしていいところだ。川底の色が赤くなったり、青くなったり、岩盤が美しい。
 周囲を見渡してもブナはまばら、ミズナラ、サワグルミなどが判別できる。水はとうとうと河原いっぱいに流れ、ひっきりなしにイワナが走る。こんな平坦な場所で林道などが近くにない河はそうはないだろう。確かにこれが自然の原初の姿で、かろうじて守られている森なんだろうなと思う。

 イワナに遊んでもらいながらのんびりと歩いていると、ウズラ石沢の出会いについた。沢側の高台に登って昼食。そばを流れに浸し、たれにつけて食べる。誤って少しだがそばを流れにもっていかれ淵に吸い込まれる。しばらくすると、コバルトブルーと白泡の交じり合う淵でなにかがうごめく。イワナだ。でかい。40センチを越えるようなのが二匹、三匹と群雄ししきりに反転する。流れたそばを食ってるのか。近づいても逃げない。夢中で写真を撮るが、流れの底にいる魚はうまく写せそうにない。

 そうこうしているうちに昨日の後続3人パーティがやってきた。彼らはこのままサカサ川に行くという。サカサ川は追良瀬流域でもっとも美しいとネットで見ていたので、うらやましく思う。残念ながら小川さんとの待ち合わせは、明日の4時に白神登山道入り口である。ここで彼らを見送る。つかず離れず見かけたシノリガモともお別れだ。「オッサンきおつけていけよ」という声がする。

 ウズラ石沢を登り始めるとようやく普通の沢に入ったという感じがするが、どこか奥秩父の沢のようで、苔むした様子が美しい。高度を増すにつれて、ブナの群生帯が現れてきた。これが白神かとは思うが、沢を歩いて見える範囲なら、どこにでもある普通の沢のようだ。

 午後4時近くになって、小さな野営スペースを見つける。ホントはもう5分も歩けばもっと快適な場所があったのだが、もう身体はぐたぐた。やっとタープを張り、寝床をつくる。対岸を見上げると、みごとなブナがこちらを見下ろしている。流木を探しに出かけるのだが、どうにも適当なものがない。湿り気が強く、流れの中で半ば腐ってしまったような薪ばかりだ。

 今日も儀式のように焚き火を始めるが、何度やってもうまくいかない。火種にもっていた着火ジェルも使い果たしてしまう。おまけにといだ米をひっくり返して、ぶちまけてしまった。

 がっくりと落ち込んだが、気を取り直して、ヘッドランプをつけ、暗がりの中を小枝から拾い直していく。トイレットペーパーでこよりをつくり、ライターで点火し、小枝から少しずつ太い幹に点火していく。どうしてこうまでこだわって焚き火をするのか、なにか無駄なことをやってるなという気もするが、火が起きるとやはり気分は落ち着く。生きていける感じがする。私はこの原初の森でたったひとり、火をおこすという原始的な手法で命をつないでいる。ライターは使ったけれどね。

 残った米を炊き、湯を沸かし、イワナをあぶる。持ってきた酒もここで全部飲んでしまう。身体の節々がきしみ、虫さされで腫れ上がった顔と手足のことを忘れてしまえば、いまは至福のときだ。幸い今夜はヤブ蚊もおそってこない。ゆっくりと酔い、渓底から雲の切れ間に星を見て眠る。



7月19日

  朝はゆっくりと起きた。パッキングをすませ、出発する。ここから先は枝沢が多く道に迷いやすいらしい。吉川栄一氏のガイドによれば、「完璧な読図、沈着なルートファインディング、野性的方向感覚、神仏のお導きがそろえば」(山と渓谷社)藪こぎなしで白神山頂へ至れるのだそうだ。

 そうかと思って一生懸命読図をして、ある二股を右へルートをとったのだが、どうもこれが違っていて、滝を越えていくうちにいくらなんでもこれは違うと思って引き返すことになる。疲れ切った身体で、引き返す判断をするのはつらい。これに2時間を費やした。
 もう一カ所、今度は左に折れて間違ったが、これはすぐに行き止まりになるので分かる。テープや布の目印も石積みのケルンも、鉈目すら見あたらないが、よく見ると石の上のコケがふまれてすれているので、焦らなければ、そんなに間違うほどではない。これはいまだからいえることで、実際は不安でいっぱいだったのだが、ともかくよたよたと滝を越えていく。徐々に徐々に高度を稼ぎ、見上げると稜線へ突き上げているルンゼがくっきりとみえたので、これで大丈夫とほっとする。このあたりはもうブナはなく、根曲がり竹やイタドリなどが群生する。いつのまにかその熊笹のトンネルにはいると、5分もしないうちに塩ビ管から水が流れている光景に出くわした。うんっ?ああこれが山頂近くの水場かとわかるまで間があった。

 山頂をふむがガスで周囲はなにも見えない。

 避難小屋は昼食をとる人でにぎわっていた。

 下山路にはいると雨が激しく降ってきた。

 沢用のフェルトブーツで泥の道を何度もコケながら下っていくと、ちょうど3時間で登山道入り口についた。小川夫妻はとうにやってきていて、車を止めて待っていてくれた。