2006年01月01日
シックハウスをゲット マイホーム「5月危機」
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鈴木 啓太郎 |
「シックハウス症候群だっていうの!」電話の向こうで妻が絶句した。シックハウスという言葉を知っていたのは妻の方である。不覚にも私は事態をなかなか察知することができなかった。ただ私たちが住むことになったマンションの一室の、リフォームに使った新建材に原因があるのではないかと、そのとき私は旅行先から妻に電話で告げたのだった。ようやく妻と私の考えが一致したとき、何か憑かれていたものが落ちたような急な安堵感がこみ上げてきたのを覚えている。 3月のはじめだったと思うが、新聞折り込みの中古マンションの広告を見て、半分冷やかしで電話をかけすぐに物件を見に行くことになった。行ってみるとなかなかいいところだったので、値切れるだけ値切って、こんな私でも安いローンが組めるなら買ってもいいかなあと思っていたら、思いどおりにことが運び、いままでのアパートの家賃よりも月々の出費は安くなることも分かったので、思い切って買うことにしてしまった。家を買うなんて人生にそう何度もないはずのことだが、見に行ってから決めるまでわずか2週間足らずの即断だった。そこで、どうせなら自分好みにリフォームをしようと思い立って、頭金を払った以外のなけなしの貯金をそこにつぎ込むことにした。 本当なら、自然保護運動で知り合っていた近所の大工さんにリフォームを頼みたかった。しかし、仕事の都合で5月の半ばまで工事は無理だという。連休中には引っ越しを済ませたかったのと、もう一ヶ月分、アパートの家賃を払うのはもったいないと思ったのだ。 そこで不動産屋に紹介された業者にリフォームをまかせることにした。私の関心は建材にどういうものが使われるのかというより、業者がちゃんとした仕事をするか、騒音で近所に迷惑をかけないかとかのほうにあった。いまから考えると、うかつだったとしかいいようがないのだが、早く引っ越してしまいたい、そういう思いの方が強くて細かいことにこだわりたくなかったのである。 工事が終わったのが、4月27日。28日から荷物を運んで、29日にアパートを引き払い、連休中に片づけを終えた。彼女の両親も手伝いにきてくれ、近所の人も手伝ってくれてすべては順調に進んだかに見えた。 コトは2才になる娘から始まった。荷物の運び終わった部屋に娘を連れてきたとたん機嫌が悪くなったのだ。 近所の人がいくらお愛想をいっても「フン」とそっぽを向いて荷物の間に隠れてしまう。失礼な奴だなーと思っていると、そのうち火がついたように泣き出した。「引っ越しで疲れたんじゃない」「急に大勢人がきたから」。みなさん気遣う言葉を残して早々に引き上げていった。そしてわが家の悲劇はここから始まったのである。 娘は夜になって熱をだした。翌日病院へ。「軽い喘息」というのがその日の診断だった。「季節の変わり目ですから、こじらせないように外の風に当てないでください。連休の間も家にいて閉め切っているように」。 後にこれが決定的な誤りであることが判明するのだが、この指示は固く守られた。そして、薬を与えても安静をつづけても、娘の症状は悪化するいっぽうだった。そのうち妻も異常を訴えだした。私もなんだかのどが痛い。連休中やるはずだった片づけもこうなるとすすめるわけにはいかない。彼女の両親も予定を変更して引き上げるという。順調に進んでいた引っ越しも急速に歯車の回転が合わなくなっていった。 両親が帰ると今度は妻が怒りだした。引っ越し時の私の彼女の両親に対する態度が悪かったという。このときの心境をどのように表現したらいいだろう。 のどがひりひりと痛み、目には霞がかかったような印象だ。照明の暗い片づかない部屋のなかで娘と妻が臥せっている。そして口々に私のことをののしるのだ。どこかおかしい。こんなはずじゃなかった。貧しくても幸せなマイホームのはずだったのだ。 そう、こんなときは逃げるに限るのである。予定していたことではあったのだが、私はそそくさと旅行に出かけた。 家を出て2日ほどしたとき、のどの痛みが消え気分が急速にやわらいだ。このときやっと事態に気がついたのだ。リフォームした家に原因があるのではと。そうとしか考えられない。すぐに妻に電話をかけ、冒頭の話につながる。 「そこにいたらダメだ。すぐに避難しよう。窓も開け放って換気しなくちゃダメだ。子どもは両親にしばらく預けよう」。 実家に避難した妻と娘も、家を離れると急速に見事に体調を回復した。何よりもこうした体験というか体感が、私たちがシックハウス症候群であったことを教えていた。 この後、県の消費者センターに調査を依頼し、原因物質の追及をはじめたが、フロア材をリフォームした部屋から基準より多少多めのホルムアルデヒドが検出された。フロア材はJIS規格でいうF2で、やはり相当のホルムアルデヒドを含んでいるのは間違いなかった。しかしそれ以外には、建材の成分や材料から「ク口」となるようなものは見つけられなかった。何があれほど人を攻撃的にしたり、イラつかせたりするのだろう。 2週間ほどの避難生活の後娘は家に戻った。窓を開け放ち、24時間換気をしながら暮らすこと、活性炭を部屋におき、マイナスイオンの発生源を配置したこと、リフォームしなかった部屋を中心に寝起きすることで、今のところ私たちは無事に暮らしている。しかし、いまなお消え去ったわけではないホルムアルデヒドなどの化学物質が、今後私たち家族の健康にどんな作用をもたらすか、それはまだ分からない。 |

