2006年01月01日

地方自治体にゆれる自治体の現在 けいたろうの議会だより

地方分権にゆれる自治体の現在
~ けいたろうの議会だより ~


 計画経済の行き詰まりが顕著になったソ連で、ゴルバチョフ大統領は「唯一うまくいった国がある。それは日本だ」と述べたという。日本の中央集権的官僚制は政策立案から計画のいっさいを統括し、その実施、予算の消化、末端までを管理統制する。GNPの六パーセント以上を占める公共事業群、大蔵省の護送船団方式、郵政省による一括した通信情報管理、等々あげればキリがない官僚の権限は、国民生活の大部分を網羅してあまりある。これが社会主義的だといえなくもない。

 一方こうした中央官庁の縄張りがいわゆる縦割り行政だとすれば、官庁の出先機関となって地域を面で捉え、税の徴収から道路河川の管理、消防、医療、教育、水道にいたる各種行政サービスなど、住民生活に密着してその細部を請け負っているのが地方公共団体、すなわち都道府県や市町村といった地方自治体ということになる。

 いまこの地方自治体が、地方分権という大きな波に揺らいでいる。地方分権が私たちの生活にどのような変化をもたらすのか、このシリーズを通じて考えてみよう。



判断は前例踏襲 
市民のニーズに即応できず  お役所仕事はもう限界だけど…

 九九年七月国会で、いわゆる地方分権一括法が成立した。

 一括法は大幅に改変された「地方自治法」を中軸に、改正の対象となる法律が四七五本、附則を含めると五六三件の法改正をともなう膨大なものだ。

 法の施行は大部分が本年の四月一日からはじまるので、いま都道府県及び各市町村の担当者たちは、関連する条例整備や権限移譲にともなうあらたな事務への対応に大忙しの時を過ごしている。これまで中央集権的に処理されていた住民サービスなどの権限や責任の所在が国から都道府県、国や県から市町村へ変わるものがほとんどだから、サービスの内容にただちに変化が生まれるわけではない。

 それでも介護や保育といった福祉サービスから都市計画、公共事業に至るまで、変化はじわりと現れてくる。先日の吉野川可動堰にたいする住民投票が、地方分権との絡みで取り上げられているように、沖縄の基地問題や各地の処分場、ダム建設などをめぐって国と地方が対立するという機会が、今後さらに増えるのはまちがいない。さらに東京都や大阪府のように財政危機に陥いる自治体が続出したり、その人が暮らしている行政区ごとに税制やサービスに違いが生じるといった事態もめずらしいことではなくなるだろう。

 難しいのは、分権が進み国や県から権限が移っても、財源がついてくるわけではないことだ。いきおい自治体は「民営化」という選択肢に頼ることになる。今日すすめられている地方分権は、これまで行政サービスとして行われてきたものを「市場化」するのか、それとも公共的事業として保持するのかという選択の場に、私たちを立たせているのだ。



コンサルタントってなんだ

 すでに現状で役所のあらゆる仕事に、民間企業の進出が目立つ。まちづくりや都市計画、環境計画などでの政策立案や計画づくりといった本来役所がやると思われている仕事をコンサルタントが代行している。

 一時期、どこの街並みをみてもまったく同じタイプの景観が生まれるので、おかしいと思ったら、もとになっているコンサルの設計図が同じだったと問題になったことがある。最近は手が込んで、市民参加やワークショップといった手法も、コンサルタントの人達が使う。まちづくりのノウハウなど役人からは間違ってもでてこないアイデアは民間企業がしっかりと握っているのである。

 昨年末、私たちも公園作りで、ワークショップ方式を採用したが、それを采配していたのは市役所の職員ではなく、どこぞやのコンサルタントだった。
 これらコンサルの大部分は、大手企業の営業系列のエージェントである。彼らは役人の仕事の大方を手伝い、その役割を代行する。そして発注される工事そのものを、今度は系列会社が請け負うのである。

 この構造にも大きな問題があると思うが、しかしいまやこうしたコンサル抜きに役所の仕事は成立しないまでになっているのだ。

 一方役人はといえば。
 「それについてはちょっと問い合わせてみましょう」。

 その場での回答を避ける何気ない担当部長の言葉に、当初私はひどくとまどったのを覚えている。それは質問事項にかかわる秘密でもなんでもない書類の閲覧にすぎなかったのだが、担当官はごく当たり前のようにそう言った。彼の部下への指示は、私をもっと驚かせた。彼は部下に私にその情報を示して良いかどうかを「県に」問い合わせるように指示したのだ。

 コンサルタントの役割などもそうだが、議員になるとこういう役人の仕事の仕方がよく見える。

 役所のあらゆる仕事は、法律的な根拠があることになっている。法律が国会で成立すると、監督官庁は、執行主体となる各自治体にマニュアルつきの通達で指示を送る。条例が必要な場合には、ちゃんとその雛形も添付される。役人で法文そのものを読む人は少ない。みんなマニュアルを読んで雛形にしたがって書類をつくるからである。
 役人が何らかの判断をしなければならないことに直面すると、まず上役に聞く。その上役は監督官庁に必ず問い合わせる。法文に照らして自分で判断するというようなことはまずない。

 たとえば市民の一人が「こういう施策が必要だ」という提案をして、それが実情に即した合理的な政策だったとしよう。しかしそれを受け入れる役人は皆無に近い。たいていは「お話はうかがいました」という返事で終わる。その市民の要望に合致する官庁サイドの通達(政策)があるかどうかを調べて、合致した場合に採用するという態度をとるのはかなりレベルの高い方に属する。

 また「どこどこの市でこういう施策が取られているから、うちもこれをやろう」という説得もまったく通じない。しかし、官庁の通達にこう書いてあるじゃないかとやると、役人はひどく慌てる。そういう通達のたぐいに精通し、情報を独占していることが、その役人の「仕事ができる」ことの証なのである。



委任事務の廃止と条令制定権

 自治体といっても、図書館、公民館など施設の管理を除けば、本来の意味での自治的業務など役所の仕事のうち数パーセントにも及ぶまい。おおかた市町村は中央官庁の地方出先機関として仕事をしており、地方自治にはせいぜい「民主主義の小学校」という称号が与えられるにとどまっていた。

 全国的な行政の均一性、サービスの一元化こそが、その弊害も含めて「機関委任事務」という中央官庁→都道府県→市町村の指揮命令系統にできあがってきた仕事の図式である。ところが地方分権一括法の最大の特徴は、地方自治法の大幅改正でこの「機関委任事務」そのものを廃止したことなのだ。

 これまで機関委任事務とされた役所の仕事(現在五三一の事務がある)のうち約四割を「法定受託事務」という形で残すものの、六割が「自治事務」に分類される。

 もう一つ大きな変化は、旧法では、機関委任事務について認められていなかった条例制定権が「法律の範囲内で」という限定つきではあるが、法定受託事務、自治事務の両者に認められたことである。もちろん自治体の側に独自の政策を条例化する意欲がなければ権利は画に描いた餅にすぎない。どこまで有効性を持ちうるかは、その自治体の自治能力の如何にかかっている。

 たとえば高知県の港湾非核化の試みを考えてみよう。

 橋本知事は港湾に入港する外国軍艦のすべてに「非核証明」の提出を義務付けようとしたが、「外交は国の権限」といった圧力で当初案は撤回された。しかし、新法下で、もし独自の条例化を試みればそれは「非核三原則」という「法律の範囲」にある事柄ということになり、条例制定は認められる。領分問題で国から圧力を受ける根拠は消えるのだ。同じような事例は沖縄でも考えられるし、各地のごみ処分場問題などで、威力を発揮することは充分ありうるのである。



自治体の自治能力が問われる

 さて、いうまでもないことだが地方分権は行政改革、直接的には橋本ビジョンといわれた改革構想の一環に位置付けられている。中央省庁が再編されるのは二〇〇一年一月一日からだが、それに先立って官庁の仕事を減らし「スリム化」する。同時に地方分権一括法と同時期に成立した「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」いわゆるPFI(PrivateFinance Initiative)法がイギリス並に適用され、民間企業の経営が学校や刑務所まで及んだりすることも予測される。

 この行き着く先はどんな事態か。

 住民台帳の管理、戸籍なども民間サービスを利用する。保育園も民営化し、介護にも保険方式を導入する。営利の対象にならない仕事のためにNPO(民間非営利組織)も整備する。図書館の館長や学校の校長も民間人から起用する。自由学区制にして学校にも競争原理を導入する。消防も水道も道路管理もし尿処理も民営化する。市民と企業と役所はトライアングル・パートナーである、等々。

 これまで行政の領分であった各種サービスなどが「市場化」することを私たちはどこまで容認しうるのだろうか。市場化を認めるとすれば、そこにはどのような条件が加えられるべきだろうか。

 すべてを市場原理に委ねることで健全な社会が実現すると、まるでフリードマンのように考える人は少ないだろう。といって北欧型の高福祉社会を理想としても、それを実現するには現状の税収構造では財源を確保できない。すでに多くの自治体が借金ずくめ、加えて不況による税収不足。地方自治体の借金の総額は、来年度一八七兆円に達するという。介護保険などに典型的なのだが、行政サービスを過剰化すれば、財政危機は避けられない。

 これらの難関を乗り切っていくためには、自治体が独自の財務計画を持ち、ある程度の民間企業の力も引き出しながら、絶妙なバランスで自治体を運営するという離れ技が問われる。自治体の努力こそがまさしく「地方自治体の再生」のポイントに他ならないのだが…。



保険料基本ソフトが決まらない
ヘルパー派遣はどうする? 介護保険導入をめぐるドタバタ

 本年四月からの実施が予定されている介護保険。本紙九八九号(一〇月二五日付)に介護保険問題を報告した時は、事業計画策定委員会の傍聴をめぐって、激しく当局と対立していた時だった。昨年の年末になって、当局はこれまでの態度を一変して、ついに傍聴を解禁、会議の公開に踏み切った。ついでにあらゆる市の付属機関(審議会など)の公開というおまけもついた。こんなことは当たり前のことだからさしたる感激もないが、会議の公開は以前から求め続け、私の選挙公約の柱にかかげた内容であった。

 こうも簡単に公約実現となると議員としては気楽なところだが、傍聴することになった重い扉の向こう側で、策定委員会が直面していたのは、これから述べるような息苦しい現実である。



政府に翻弄される福祉行政

 介護保険制度は、橋本首相が厚生大臣であった頃に企画検討されたといわれ、九六年自社さ政権下で法制化されたのだが、今年四月の実施を前に政府の方針がころころ変わり、ドタバタを演じている。

 自民党の法案審議の実権を握る亀井静香が「家族のきずな」を説いて、当初案での介護保険施行にストップをかけ「政府の特別対策」をまとめあげさせた。

 「六五歳以上の保険料徴収を半年据え置き、その後一年半額とする」。「四〇歳以上についても国が一年間財政支援する」。「介護家族には慰労金一〇万円などを支給する」といったものである。これら保険料の軽減策で、なんと九千億もの赤字国債が発行されるという。

 厚生省は、在宅介護に必要な報酬単価を発表した。ここでも「身体介護」「家事援助」という二分類に新たに中間項目をもうけ単価をきめたり、「家事援助」の対象者を同居家族のいない単身者に限るなどに変更した。これらはすべて自治体の頭ごしに方針転換されている。その度に、市町村ではケアマネージメントを書き換え、コンピューターのソフトを変更し、保険料の算定をやり直さなければならない。

 介護保険法は、高齢者実態調査にもとづいて「地域の実情に根ざした」計画をたちあげることを義務づけている。にもかかわらず、おきている事態はまったく逆である。政府の方針が変わる度に、それに合わせて事業計画書に変更が加えられるのだ。もう、どこの自治体でも、三月議会ぎりぎりまで条例案の策定を引き延ばして、最後の土壇場で決着させる以外なくなっているというのが実状なのである。



「儲からない」介護予防は自治体に

 市町村に影響を与えたのは、これら保険料の変更の問題ばかりではない。

 あまりマスコミでは注目されていないが、政府の特別対策には「介護予防は市町村でおこなう」という一節が加えられた。「介護予防」とは、要介護状態にならないように高齢者の生活を支援することだ。要介護認定され保険の対象となるような収益のあがる分野とは違う。また「介護予防」の分野は「要介護認定」で「自立」と判定されても、状況によっては介護が必要になる人への支援など、これまで行政がおこなっていた高齢者事業の全部を含んでいる。

 こうした高齢者保健福祉事業を「ゴールドプラン」というのだが、今度はこの「介護予防対策」を盛り込んだ計画が「スーパーゴールドプラン21」と名付けられ、早くも一兆円を超える補正予算が組まれている。介護予防でのヘルパーの派遣などは「介護保険に準じて」本人が負担する分もあるが、基本的には国と自治体で財源を分ける税負担方式である。この施策がいかに機能し効果を上げうるかは、財政的にも政策的にも各自治体にとって大きな問題にならざるを得ない。

 話を前に戻すが、市町村が条例を制定する場合「法律の範囲内で」というのが憲法上の前提となる。それでも条例で、法律が対象としていないものを含めるとき「横だし」といい、法律以上の規制を加えるとき「上乗せ」といって認められている範囲がある。

 介護保険法にもとづく条例制定では、法が対象としていない配食サービスや外出援助、布団乾燥などを「横だし」でおこない、ヘルパー派遣などの回数を自治体ごとに増やしたりすることを「上乗せ」で考えるというのがいわばこれまでの焦点であった。

 この「横だし、上乗せ」なら財源は六五歳以上の被保険者負担となり、サービスは介護保険と一体で民間業者の参入が見込まれていた。ところが「介護予防は市町村で」となると、市町村が独自の高齢者福祉事業を構想しなければならない。さらに配食サービスをおこなう場合、保険業務で業者まかせで良かったものが、同じく業者に頼むのでも、今度は自治体の委託事業となり、責任も財源も市町村が引き受けることになる。

 このため、介護保険事業者である「社会福祉協議会」などは、保険業務と委託事業を使い分けてヘルパー派遣などに対応しなければならず、これまた大きな混乱のもとになっている。


デメリットばかりでない

 だが介護保険は悪いことばかりだとは私は思わない。自分達がどの程度の介護サービスを望むのかということが、どの程度の保険料を払うのかということにドライにはね返ってくるシステムに、一応はなっているからである。

 そこでは企業からNPOまでの多様な事業主体が登場し、かつ事業者に限らない「潜在的能力」が開発されうることもメリットといえるのではないか。

 福祉がビジネスとなることは、弊害もあるが一方でモノづくり中心の産業構造からの転換にはなるだろう。

 また多様な事業主体が参入したことで、一部の社会福祉法人などに限られ閉鎖的ですらあった高齢者福祉への間口が広がり、超高齢社会の到来を前に、誰もが己の問題として介護を考えるようになったということもある。

 介護の社会化によってうまれる共生と連帯が、高齢者にとっての本当の幸福や満足につながるか。これを成功させていくかどうかが、私たち地方議員の力の出しどころなのである。